その電話がかかってきたのは夜だった。
夜とはいってもまだそんなに遅い時間ではなく、夜の街に人が繰り出す頃のことを宵の口というのなら、まだ宵の口の範疇に入りそうな頃合だった。
「ああ、シェンか。どうした？」
基本的にラウはヤンを独り占めにしたいと思っている。仕事の電話でも業腹なくらいなので、ましてや友人知人からの電話は嫌いだった。２人きりの時間を邪魔するものは、すべて嫌いだった。そんなことを言っても、２人で暮らしているのだから、誰が何に来ても邪魔者なのだったが。
「明日？急だな構わないよ。場所はどこ……ああ、ああ……そこで落ち合って飯はどっかに食いに行くか。ああ食った気にならないぜ、そんな一流ホテルじゃ……ああ、もちろん。ああ……そうだ、ラウも一緒で良いか？あれ？ヨン？」
どうやら電話の相手が、シェうだった。ヤンを溺愛することにかけては、ひけはとらないヨンだった。
立場や愛しかた愛する方向性は違えど、ラウとはいい勝負だった。
「どうしたんだよ一緒に朝飯食うんだろ？……うん、うん……嫌なわけないだろう……ああ、ラウも一緒でいいかって聞いてたころ……ああ？いい？そりゃ良かった」
電話の邪魔をするとヤンは怒る。ヤンでなくても普通怒るだろう。とりわけ友人からの電話を、明確に敵扱いしてしまうラウなので、たいていのことになら甘いヤンも、そこのところだけは厳しくしつけてあるのだった。
「ちょっと待ってくれ」そう言うとヤンは、後ろからヤンの首に腕を回し、話の邪魔はしないけど、せめてくっついていたい、というラウのほうを振り向いて言った。
「明日の朝シェンとヨンと一緒の飯でもいいよな？」
ヤンと離れてどこかへ行けというのならともかく、ヤンと一緒でラウが嫌だと言ったことはないので、ヤンの確認の仕方もおのずと変わってくるのだった。
「いい」
ヤン自身と後ろ髪の匂いを胸いっぱいに吸い込みながらラウは答えた。それで決まりだった。
「悪い、お待たせああ、ラウもいいってさ。ああ、じゃあ明日の朝な。遅刻しないよう気をつけるよ」
電話の向こうの相手に笑いかけても、見えないだろうが、雰囲気はきっと通じることだろう。きっと今頃ヨンは、ヤンの笑顔の波動を電波越しに受けて、顔をほころばせているに違いなかった。話しているところだったのに、電話を奪われたシェンはともかくとして。「じゃ、おやすみ。シェンにもよろしくな」そう言ってヤンは電話を切った。もうラウは遠慮しなかった。じゃあいつラウが遠慮しているのかというと、多分どこかではしているのだった。３回したいところを、２回半で我慢しているとかそういう我慢を。もしかしたら重ねているのかもしれなかった。
「なんだ？するのか？」
電話を終えたヤンがあお向けるようにしてラウの顔を見た。ラウは、うなずくよりも先に、ヤンに手を伸ばすことにしたのだった。
「あ……それ、嫌、だ……ラウ……」
「どうして？」
そのほうが楽だからとヤンが言うのでいつものように後ろから、服くらい自分で脱ぐからと言ってまだ脱がせてもらえない、それでもヤンが、こうして腕の中にいるんだからいいか、とラウは思っていた。もちろんいずれは、着衣をほどくところから始まってありとあらゆる体位を試してみるつもりではあった。それが今現在のラウの夢のひとつだった。
「それだと……なんか、変、で……」
四つん這いになった格好で、今まさに最中で、あまり声を出してくれないではいるものの、色っぽいこと限りなく、それなのにさらに、懸命に振り返ろうとしながら言葉をつむぐものだから。
「……おお、きくさせてる…ばぁい、じゃなくて、だな…ぁ……」
まだ挿入してはいないものの、先端くらいは含ませ気味ではあって。頭のいい人が見つけたように、地球には引力というものがすべからくあるのであって、わんこのポーズのヤンの、尻だとか太股の裏側なんかにはもちろん、ラウの元気いっぱいなモノが、バシバシあたっているのであって。
「……ん……」
ごめん、と小さく呟いてラウは、辛抱たまらなくなったラウは振り向いたヤンにくちづけた。
「ヤン……」
それでますますラウは元気になったりもしたが。
「わ、っかい、なぁ……」
ラウがほんの少し顔を離すと、ヤンは感嘆しているともため息をついているともとれる、吐息のような囁きをもらした。
「あんたのせい、だ」年齢なんて、ひとつ違うかどうかだって言うのに相変わらずラウを年下の、やんちゃ坊主扱いをすることを、止めようとはしないヤンだった。その子供扱いにも似た扱われ方が何故か、心地よくないこともないラウだったが。ヤンが笑った。
「それ…使うと、なんか、…嫌なんだ……」
だからやめて欲しいというこれは、シェンが大陸土産と称して先日くれたものだった。ラウは有難くそれを受け取って活用していた。これを使うと挿入がスムーズになるような気がしたし、何よりヤンの感度が良いような気がするのだ。
「どこが？」
具体的にどこがどう嫌なのか、後学のためにもはっきりさせておきたくてラウは重ねて聞いた。
「それ…、なんか……にゅるんとなる、んだ……」
だから嫌なんだ、とヤンは言った。
「ごりごりしたほうが……」
入ってくるんだな、っていう達成感みたいなものがあってそっちのほうがいいのだというようなことを、、恥じらいながら途切れながら言うさまが、ラウから見れば、もうもう。
「やめる」
ラウは即答した。ヤンからの切なる望みなのだ。少々の自分の欲望など、問題にならなかった。ラウは行動で気持ちを表した。すなわち、手にしていたものを投げ捨てることによって。
「ヤン……」
「う……あ……」
それから。
後はもうラウの独壇場も同然だった。
次の朝になってもラウの幸せは続いた。
２人で朝食を食べにでるのはともかく、落ち合う相手がいるというのは何だったが、そのことについては深く考えないようにすればよかった。何よりあいつらがいると、ヤンが喜ぶのだからそれでよかった。
「出かけるなら、そろそろ仕度しないと」
「そ、んな時間か…も、う……？」
ベッドの中にいるヤンを起こすのはラウの至福の時間のひとつだった。昨夜のようなことがあってもなくてもラウは構わなかった。こだわる必要はないのだった。どちらにしても、起きぬけのヤンを思う存分堪能できるという点では同じだからだった。
「ふぁ……」
起き上がって伸びをするヤンは、昨夜の後始末をした姿のままで、早い話が素っ裸なのだった。
男同士だし他に誰が見てるわけじゃないんだし別にいいだろ？という理論武装のもと、惜しげもなく裸体を披露してくれるヤンのことを、ラウが咎めるわけもなかった。ただ１回だけ失敗した、と思ったことがあった。カーテンがしっかり閉まっていないことがあったのだ。誰かが見たのかもしれない盗撮もありえる、と思うとラウは窓から見えるビルの窓すべてを、機関銃か何かで一斉掃射したいくらいだった。幸いなことに、今日まで事なきを得ていたが。仕度をして、一緒に部屋を出る。
「財布持ったか？」
「あ、携帯忘れたかも」
そんな他愛のない会話を交わすこと。それが。
「ヤン」
「うん？」
「よく似合う」
「おまえ……そこらへんの花を折るなよ」
「いいじゃないか、あんたに似合うんだから。花だって幸せだろう？」
ラウが大真面目にそう言うと、ヤンはどうしてだかため息をついた。
ついたがしかし、髪に指した花を取ったりはしなかった。
手をつなぎたいな、と思っているうちにラウの目的地である雑貨屋に着いてしまった。ここで切手やらを買って、この書類を送らなくてはならないのだった。
「それじゃ、一足先に行ってるから」
シェンへの土産を早く渡したいというヤンと、別れがたくてつい手を掴んだ。
「どうした？」
「いや……」
「待ってるから」
ラウを安心させるように腕をぽんぽん叩くとヤンは行ってしまった。その後姿をラウは、小さくなるまで見送っていた。ヤンに言ってしまいたい。
ヤンの父を殺したのは自分だと。
マリーを死に追いやったことを。
ウォンを死に追いやったことを。
ヤンがサムの元に潜入していたその期間、自分も警察に潜入していたのだと。
自分のしてきたことを、すべて。
しかしそれは言ってはならないのだった。
言うことで、ラウは楽になるだろう、しかしヤンは？
新たな苦しみを得るだけだ。誰も幸せにはなれない。
それだけは言ってはならないのだった。どんなにこの口から、真実があふれそうになっていたとしても。
雑貨屋で用を済ませ、郵便物を投函してからラウはホテルへと急いだ。
早くヤンの顔を見たかった。
ヤンの側にいるときだけは、忘れていられる。これでよかったのだ、と。
そう思うことが出来るのだった。早く、ヤンのもとへ行かなければ。
ヤンを、マリーと比べてはいけない。
マリーはラウを拒んだが、ヤンは受け入れてくれたではないか。
マリーのことを。
考えてはいけない。ホテルのティーラウンジに、ヤンの姿があった。
手を振ると、ヤンも気付いたようで、こっちへ向かうと身振りで示した。
ヤンが自分を迎えに来てくれるのだと思うと、自然とラウの頬に笑みが上ってきた。
道路のこちらと向こう側で、並走するようにして移動する。どちらもきっと、馬鹿みたいなことをしているのかも？といっ笑みを浮かべながら。
信号にたどり着き、あっちとこっちで手を振り笑いあった。
もうじき会える、もうじき触れることが出来る。
もうじき声を聞くことが出来て――――ああ、ヤンに。
信号が変わるほんの一瞬前、何を急ぐのかフライングした女がいた。そこへ、車がやって来て。
ヤンの笑顔に覆い被さってしまった。ヤン、の姿、が。
「ラウっ！？」
重いものにぶつかった音、車の急停止した音、人の声。
何もかもが遠くなっていった。最後に聞こえたのは、ヤンの声だけだった。
「ラウ！」
かけてくる足音、そして。