「上でやすんでる。何かあったら携帯に連絡をくれ」
ラスティは腕時計を見ながらそう言った。そろそろいい時間だった。
「はい」
そのホテルのオーナーが、携帯を一振りしてペントハウスに消えていくのはいつものことだったので、実質的にホテル内部を切り回しているマネージャーも
一礼しただけだった。外の非常階段からのみ行けるようになっているペントハウスに、身軽にカンカンと階段を駆け上がりながら、
心はもう飛んでいた。大きなテレビスクリーンへ、アムステルダムへ。
いつもの、どんな時でも余裕綽々のポーカーフェイスのニヤニヤ笑いをくずすことのない彼しか知らない者が見たら、別人かと思うかもしれなかった。
カギを開けるのももどかしく、１度取り落としそうになった。しかも鍵穴にもいっぺんでは入らなかった。
「くそっ、暗証番号式に替えてやる！」
とかなんとか毒づきながらもどうにか部屋の中にもぐりこむことに成功して。
「どこかの金庫に忍び込むほうがよっぽど……」
とかなんとかぶつぶつ言いながら時計を見た。まだ少し早いはずだった。
はやる心をあえてじらしながら、でも心臓にはタップダンスを躍らせながら、冷蔵庫からビールを取り出し一口あおった。
きめ細やかな泡が、喉を通る感触に、何かを想像してしてしまい立ちすくんだ。それから、一切の虚勢をかなぐり捨てて足早にリビングへ向った。
ちょっとしたベッドぐらいの大きさのあるスクリーンにあわせたソファがあってと、しつらえだけを見れば、よほどの映画好きなのかと思えるセッティングだった。
ソファの前にはローテーブルがあって、その横には「カウチにはポテトチップだろう？」と言わんばかりのポテトチップの袋や、ポップコーンの袋などがあった。
無造作にその中から１袋取り出すと、バリッと豪快に開け、ヤケのようにひとつかみ頬張った。それから、もう１度ビールで喉を潤してから、
よくよく見れば細かく震えている手で、リモコンを押した。このリモコンだけは、指紋照合式になっていた。誰にもこれを見せるわけにはいかなかった。
スクリーンに映像が映し出された。
誰かの私室のようだった。
どんな映像なのか、旧式のテレビのように、像ははじめぼんやりと結ばれた。でも人がいるらしいことは分かったので、ラスティはこう呟いた。
「お、今日はもう帰っているな」
しめしめと言いたげにポテトチップの袋に手を伸ばし、そのまま止まった。口の端からは欠片が落ちた。
ビールを口にしていたら大変なことになっていただろう。きっと吹き出していたに違いない。
人が写っていた。こちらを向いて、足を大きく広げて、まるで見せびらかすように――――。
「あ……ああ、あ…ん………っ」
スクリーンに映し出された人は、自慰行為の真っ最中のようだった。
「あ……んぁ……ぁ……」
ズボンは足先にわだかまっているだけだったから、ほとんど半裸と言っても良かっただろう。
上に着ているものの中にも、手は伸ばされていて、それはたくしあげているだけだったので、その手の先が何をしているかまでは見られなかったが、
蠢いている位置からして、鎖骨よりも下、おそらく乳輪のあたりではないかと思われた。もう片方の手が何をしているかは一目瞭然だった。
下肢の繁みの奥、自分自身を撫でさすり、しごいているのだった。
「な……っ！？」
と言いつつ、ラスティは目が皿のように大きくなっていくのを止めようがなかった。しかも身を乗り出して。
気を落ち着かせるために、ビールをもう一口。それでもう最後だった。代わりを持ってこなかったことに舌打ちが出た。
しかし、この先のんびりビールを飲んでいる暇などなさそうだった。
あわただしくラスティもズボンのファスナーを降ろした。
「あ――――っ」
どこかいいとこを探り当てたのか、スクリーンの中の人が甲高い声を上げてのけぞった。黒い巻き毛が、激しく動かされた。
そして――――まるでカメラの存在を知られているような目線が、こちらに送られた。知られているに違いない、
このカメラは固定されているので、偶然にこんな光景は写りえない。
「……っ！」
絶対に気付かれている、ラスティはそう思った。
射抜かれるような苛烈な眼差しに、貫かれるような心地よさを味わいながら、ブリーフの中に手を差し込んだ。
中のものはすでに反応し始めて、手をあるいは他の刺激を待ち望んでいるようだった。
「あ……ぁ……」
そういえばこの声も、こらえられないというよりも、聞くものの耳を意識しているようなてらいないものだった。目線が、何度もカメラのほうに向けられた。
どれひとつとってみても、ぞくぞくと震えがくるようなもので寝姿のひとつも見られたら、と思っていたラスティの読みは、完全にはずれた。
「く……っ」
スクリーンの中で艶姿をさらしている彼はさらに、カメラに背を向け、上着を脱ぎ去り、たかぶったものもそのままに、尻を高く掲げ
――――カウチに座るラスティに見せつけるように、ほんの少し足を開いた。もう少しですべてが見えるかと思うと、届くはずもないのに手を伸ばしてしまった。
すでに先走りで濡れそぼっている手を。
乗り出すようにして見ることはもう出来なかった。
背をソファに預けないではいられなかった。深々と腰かけ、足を広げ、その中心をこねくりまわし、目は瞬きすら惜しむように見開かれ
スクリーンの中の人の痴態に見入っていた。
「……エリック……」
日頃は口にすることも禁じている懐かしい名前をのぼらせた。
ひとたび口にしてしまえば、舌に喉に耳に、心地よく響くその名前が扉を開く。開けてはならない思い出と渇望の扉を。
「あ……ぅん…あ……ふっ……」
エリックは四つんばいの格好で自分を慰めていた。どんな商売女も叶わぬほどの、演技ではないからこその熱心さで腰を振り
――――極めようとしていた。
「あ……あ、ん……あ……テ…ィ……あっ」
名前のきれっぱしが聞こえた。それが自分の名前のように聞こえたところで、ラスティは一足先に果てた。
「うっ、わぁっ………」
惨憺たるタイムに、ちょっと打ちのめされている間に、スクリーンの中のエリックも終えたようで、尻がびくんびくんと痙攣していた。
あの尻に触れたかった。あの背に、今すぐ手を這わせることが出来るのなら、ホテルでもなんでもくれてやるんだが……とラスティはぼんやりと思った。
脱がずにしてしまったので、ブリーフの中がベタベタだった。
「あーあ」
ため息をついて、いつもなら目を覆うところだったが持ち上げた手を、すんでのところでこらえた。今はスクリーンを見なくてはならなかった。
スクリーンの中のエリックは、さっきまでとはうって変わってのろのろとした動きで座り、そして後始末を始めた。白いもののついた手を、
呆けたような虚脱しきった表情で見つめてから、匂いを嗅ぐような仕草をし、そして――――こちらに手を伸ばした。
その手に触れらるわけでもないのにこちらも伸ばそうとしたところで、エリックは手を引っ込めてしまった。ほんの少し、間に合わなかった。
そのまま、着ていたものを抱えてフレームアウトしていった。
きっとシャワーを浴びに行ったのだろう、ほどなく水音が聞こえてきた。
そこまでを確認してから、ラスティは映像を切った。今度こそ、頭を抱えた。
「〜〜〜〜〜っ！！」
それから決然と立ち上がった。
「もう我慢できるか！！」
アムステルダムへの便の時間ならすべて覚えていた。ここから車を飛ばせば、飛行場まではあっという間だ。
だめだもう我慢なんかできるか！と勢いよく立ち上がったところで、携帯が鳴った。反射的に出てしまう。
「ハロウ？」
『ミスター？お客様のお一人が部屋で暴れているようなんですがドアを開けてくれません。警察に通報しますか？』
「………今行く」
ラスティはもう１度頭を抱えた。そして呟いた。
「……でも、絶対に行ってやる！」
そして取り戻してやる！いや、そもそも得てもいなかったものを、今度こそ手に入れてみせる！
「２５００万ドルもかけてるくらいなら……航空券の１枚くらい買ってやる……なんだったら飛行機を乗っ取って……」
物騒なことをブツブツ言いながら、大急ぎで着替えながら。
匂いがついているかもしれないのをコロンで誤魔化して。
「絶対アムステルダムに行ってやる！待ってろよ、エリック！！」
アムステルダムで１人シャワーを浴びている警察官が。
くしゃみをしたかどうかは、知らない。
原案者のずきこさんに捧ぐ！（笑）
いや〜辛抱たまらんて書いてしまいました！
２５００万ドルの使い道としては、
気が利いてはいないだろうか？（笑）
少なくとも、ホテル経営だけにつぎこんでいるよりは！
そもそも
３年半もよく我慢できたね……。