「ブラッド……？」
ドアを開けたらブラッド・ピットがいた。
それはちょっと驚ける話だと思う。
何しろ相手は世界に名と顔の知れたセレブレティ様なのだ。
「どうしたんだ、いったい……ああ、そんなことはいいから早く中へ」
今のこのブラッドの様子では、近所の人に見られたところで、最近では人道支援活動でも名の知れた映画俳優だとは誰も思わないだろうが、もしもということもある。それにこんな、見る影もなくやつれきっているような相手を、いつまでも玄関先に立たせておくなんてとても出来なかった。たとえ相手がブラッド・ピットでなくとも。
「わるい……これおみやげ……」
ブラッドはよれよれと紙袋と出来合いっぽい花束を差し出した。それを受け取ったエリックは、かつぎこむようにして、ブラッドを家の中に入れた。よろよろとエリック・バナ邸によろけこむ、その様子からすると、どう贔屓目に見ても、仕事や病気でぼろぼろになった古馴染みを担ぎこむ、の図だった。
エリックはとりあえずブラッドを入ってすぐの電話用のイスに座らせた。それから、すぐに戻るからと言い置いてキッチンに駆けていった。「どうしたの？お客さま？」
最愛の女性である妻が、物音を聞きつけて顔を出し、夫のあわてふためいた様子に、気を引きしめて尋ねた。もしかしたら行き倒れでもいたのかもしれないと。
「ああ……ブラッドが来たんだ。なんだか知らないけど、かなり弱っているみたいでね」
「まあブラッドが？」
ブラッドは、以前にもこの家に来たことがあるので、彼女も挨拶くらいはしていた。『夫のお友達で面白いハリウッドセレブ』というくくりで。当たらずといえど遠からず。
「うん、急にどうしたんだろうないったい。……ひょっとしてあれかなぁ」
「どれ？」
「正式に離婚が成立したって話だから……」
「ああ……」
言いにくそうにエリックが口ごもれば、彼女もまた深く納得した。
「それでちょっと……ふさいでいるんじゃないかな。それに、ここなら２人の共通の知り合いも少ないだろうし」
「そうねぇ」
紙袋の中身はドーナツだった。表には、あちこちで見かけるチェーン店のもので、花束といい、それをみやげに選んだブラッドの混乱ぶりを如実に物語っていた。とりあえず、と少し残っていたコーヒーに、あたためたミルクをどごどご入れたマグカップを持って、エリックはブラッドのところへ戻っていった。「ほら、これ飲んで」
「ん……」
なんだか、病人の世話をしているような？とまるで毛布に包まった人に給仕しているような気のするエリックだった。イスの腕のせにちょんと腰掛けたエリックは、大人しく湯気の立つミルクコーヒーを飲んでいるブラッドの、金色のつむじを見下ろした。その髪は、トロイの撮影終了後に切って以来ずっと短いままだった。
つい手が伸びて、その髪をくしゃ、と撫ぜた。
「ん？」
その感触に、ブラッドはエリックを見上げた。
「あ、ごめん」
「いいよ、別に」
そう言ってブラッドは、まだそのままだったエリックの手に頭をすりつけるようにした。
「どう……して髪伸ばさないんだ？」
ずっといがぐり頭のままのなんだい？と、どうして来たんだ？の代わりに尋ねた。
「うん？……このほうが楽だから……」
ああ、やっぱり、な返事をエリックは目を細めて聞いていた。そのままに、人懐こい猫を撫でているような気になっていると。「エリック」
彼女から声がかかった。ハッとしたりしたら、疑ってくださいと言っているようなものだから、ごく自然に演技をするよりもスムーズに、エリックは顔をほんの少し赤らめた。男友達との、気の置けないじゃれあいを妻に見られて、決まり悪い思いをする夫のように。
そんな風に思いながら行動してしまう自分に、自己嫌悪を覚えながらエリックは彼女のほうへ行った。
「あのね、わたしたちは予定通り出かけるけど、よかったらあなたは残って」
「え……？」
今日は子供たちを連れて、彼女の実家に泊まりで遊びに行くことになっていて、子供たちはよそへ泊るのを、それは楽しみにしていたのだった。
「子供たちとも話したんだけど、そうしたほうがいいと思うの。一緒に行けないのは残念だけど、せっかく来てくれたんだから」
「……いいのかい？」
「両親にはちゃんと言っておくから、留守番よろしくね。もちろん、出かけたってかまわないけど」
その時には鍵を忘れずにね、と念を押されてしまった。
「ありがとう」
エリックはそう言うしかなかった。なんだかうしろめたかったが、嬉しいことには違いなく、戸惑いは消えなかったが。
『いってきます』と『いってらっしゃい』が飛び交って、彼女と子供たちは車で旅立っていった。
あとに残される格好になったお留守番隊は、手を振って車を見送った。
「………」
「………」
ブラッドは『いいのか？』とは聞かなかったし、エリックも『なんでこんなことに？』とは言わなかった。２人は、車の姿が見えなくなると家の中に戻った。そして、鍵をかけるなり抱き合ってキスをした。お互いの身体をまさぐりあうように抱き合って、味わうようなキスをして、舌がしびれてこのままじゃどうにもこうにもとなるまでそうしていた。
時間にしてどれくらいたったことか、ブラッドの腹の虫が鳴るまでそうしていた。
「………」
「……腹が……減っているんだな、ブラッド」
それは、質問ではなく確認だった。ブラッドもこっくりとうなずいた。それでようやく、２人は身体を離した。
エリックは笑いながらブラッドの手を取って、キッチンへ引っ張っていった。
「出かけるつもりだったから、ろくなものはないぞ」
「食えればなんでもいい……エリックでもダイカン……」
そのあとは言うことが出来なかった。にっこり笑顔がコワいエリックに、大きな手で口をふさがれたからだった。「うーん、これでいくか……ブラッド、オムライス大丈夫か？」
トロイの撮影時代に何度も一緒にごはんを食べたことがあったので、キライなものもスキなものも、ある程度は知っていた。だが、オムライスははじめてだった。エリックは、これが一番早いだろうと、冷凍庫を眺めながらそう聞いた。
「なんでもＯＫ〜」
キッチンのテーブルについたら急に腹が減ったのを感じたのか、力が出ない〜とブラッドはテーブルに懐いていた。オムライスを皿にあけ、ついでに自分の分ももう一皿用意してレンジに押し込んだ。
スイッチを入れると、作っている時間はないので、缶詰のスープを温めにかかった。
「あ〜いい匂い〜」
魂が半分出てしまっているような、気の抜けたブラッドだった。こんなブラッド滅多に見られないぞと思うといっそ、ファンを呼んで見物代でも集めようかと思えるのだった。
なるべく考えないようにしているのだった。ブラッドのこんなところが見られるのはきっと、自分くらいのものだと自惚れることのないようにと。
「出来たぞ」
軽快な音を立てて中身がほかほかになったことを知らせたレンジの中から取り出したオムライスに、ケチャップではなくて、大人向けの具入りのソースをかけてブラッドの前に置いた。「スープもすぐあたたまるから」
出来合いで悪いけど、と断るエリックに。
「んーん」
これでもう充分！と、起き上がったブラッドは大振りのスプーンを手に取って食べ始めた。結局ブラッドは、スープはおかわりし、つきあうつもりであたためた、エリックのオムライスも半分ほどいただいた。そして今度は、満腹で幸せ〜と溶けたバターのようにテーブルに懐いていた。
何しに来たんだろうか、いったい？
もしかしてごはんを食べに？とエリックが思うほどだった。
「エリック……」
そう思っていたら、皿を下げようとした手を握られた。腹にものが入り、そろそろエンジンがかかってきたのかもしれなかった。
ブラッドは取った手をそのまま口元に持ってきて、エリックの手のひらに手の甲に指に爪にキスをした。
「ブラッド……わたしの手は、食べ物ではないぞ？まだ腹が減っているのか？だったら何かデザートを……」
と言って、冷蔵庫へ向かおうとするエリックを、逃すまいとするように、ブラッドは立ち上がって捕まえた。「エリック……！」
分かったから、耳元でと言う間もあらばこそ、エリックはまたブラッドにキスされた。オムライスとスープの味のするキスを。ドーナツは持っていったけれど、枯らしてしまうからと花束は置いていかれた。その花の匂いがかすかにした。
「ブラッド……」
ほんの少し、くちびるが離れた間にそれだけを言うのが精一杯だった。すぐにまた、こらえきれないようなブラッドに噛みつかれていたからだった。ブラッドの手が、エリックの背中から腰に降り、さらに尻にさしかかったところで、エリックは弾かれたようにブラッドを突っぱねた。
「ここでっ、これ以上のことをするつもりはない、ぞ、ブラッド！」
これだけは言っておかねば、という気概を込めてエリックは宣言した。離れたついでに、いつの間にかくつろげられていたシャツの襟元をかき合わせた。それと薄手のセーターと。真夏から来たブラッドは薄着だったが、真冬のエリックとは、着ているものが違うのだった。今の２人の、立っている場所のように。
「エリック……」
ブラッドは怒らせてしまったことに気づいて、途方に暮れたような顔をして両手を広げた。ブラッドのことは信じることにしていた。行動のすべてを疑っていては、話にならないからだった。自分のことは信じていなかったが、ブラッドのことは信じていた。だからエリックは、ブラッドの改悛も信じることにした。「ブラッド、ここでは……やめてくれ……」
「ああ、すまなかった。つい……」
「ここでないなら、どこでもいいから……」
なんだか、気弱になっているなぁ、と思った。
映画の宣伝だから、事実無根だからと言われている、共演女優とのことが、まだひっかかっているんだろうか？それとも元妻のことが？ブラッドに望まれれば、子供を産めるすべての存在に？
「……重症だ……」
「うん？」
エリックの呟きは、幸いにして小さすぎて聞き取れなかったようだった。エリックは自分からブラッドにもたれかかり、背中に手を回した。
「だからって、車でとか外でとかは嫌だぞ……」
「そんなギャラリーの出そうなとこ、もったいないからしない」
エリックが軽口をたたいてくれたので、ブラッドも安心して笑った。
声の調子でそれを知って、ブラッドの肩口に顔を埋めていたエリックは安堵の息を吐いた。「俺今弱気なんだ……」
「ブラッド？」
ブラッド・ピットと弱気、およそ似つかわしくなさそうな単語の羅列だった。
「ふられただろう？なんだか世界中の人にＮＯと言われている気がして……」
そこまでなら、というお許しが出ていたので、ブラッドは抱きしめるというよりはしがみつくようにしてエリックにしがみつく腕の力を強くした。
「ブラッド？どこの誰がそんなこと言うっていうんだ？そんな奴、放っておけよ」
ぽんぽんと、ブラッドの背中を叩きながら、エリックが言うとブラッドはぽつりと言った。
「ならエリック、俺の子供産んで」
「――――は？」
「俺の子供産んで、気が向いたらで構わないからいつか」
「いつか？そんな日は、来ないかもしれないぞ？」
「いいんだ。約束してくれるだけで……」
『約束』と、その言葉をブラッドはとてもやさしく舌にのせた。言葉そのものを、いとおしむように。
「ブラッド……」
困りつつエリックが、ブラッドが望む答えを返したくなるほどに。「俺の子供産んで、エリック」
「ブラッド……」
確か『夏だからエロ』の定理にしたがってみよう！
と思って書きはじめたはずだったよね？当時の自分？
それがなんでこのような感じに？
おかげで考えていたエロが入らなかったってどういうこと？
それじゃ本末転倒じゃないの！！
リベンジ出来るといいなぁ＞そうだねぇ。