「……っ！っと……すまん」
かんかんという剣戟の音が突然やんだのはブラッドがの剣が、エリックの腕をかすめたからだった。
「すまん……大丈夫かエリック？」
本来ならばまだ、撮影で使う本物くさい模擬剣は必要なかった。ダンスよろしく一騎打ちのステップを、覚えているような段階だったので。
やっぱり戦士だからねぇ、かっこよく剣をあつかえて何ぼでしょ？と意見が一致していたので、２人の練習では、ずっとそれを使っていたけれども。
「大丈夫だいじょうぶ」
このくらい、とエリックは皮一枚を切っただけの腕を、ぺろりと舐めた。
「でもちょっと休憩したいな。喉が渇いた」
晴天のもと、こんな荒涼とした地、風に仕立て上げたトロイ城壁前、っぽいあたりでの練習では、特に水分補給は必須だった。２人とも、ぎりぎり腰まわり覆っているだけという薄着ではあったけれども。
「賛成。流れた汗の分だけでも補給しておかないと」
頭からだらだら流れ落ちる汗を、無造作に腕でぬぐってブラッドも同意した。間近で見た、エリックの舌映像を脳内でリプレイしながら。やれやれと、テントを張っていたりパラソルを立ててあったりする休憩スペースに向う、ほんのちょっとの間ですらも、もう剣が重かった。
「昔の人は偉大だ……」
冷たいものをもらって、イスに座るとついのべーっとしてしまうもので、この時のブラッドもそうだった。
「この上甲冑を着て動き回っていたんだからすごいよ」
１杯目を一息に飲み干したエリックは、おかわりになってはじめてゆっくりと味わうことが出来た。今日の一息ドリンクはレモン水のようだった。透明なプラスチックのコップの中で、砂糖に漬かっていたレモンがぷかぷか泳いでいた。
「あれじゃ冬は寒いだろうしなぁ」
よっこらしょ、と起き上がったブラッドは一切合切入っているから合切袋！と言っている使い込んだバッグからメモ帳のようなものを取り出した。一緒になっていたペンで、なにやらさらさら書くと。
「はいエリックこれ」
「何？」
のんびりムード全開になって、扇風機の風に吹かれていたエリックも、呼ばれて身を乗り出した。「罰金」
「おやまあ、おまめさんだこと」
ブラッドの持っているそれは小切手で、すみに小さく『ブラッドリー銀行』とか書かれていたが。この場合要するに借用書だ。
「あとでちゃんと払うけど、とりあえずこれで」
「ずいぶんたまったなぁ」
笑いながらしみじみと、エリックは小切手を見つめていた。怪我をさせたら罰金制度を言い出したのはブラッドのほうなのに、払っているのもブラッドのほうばかりだというこの現実。
「なんかうまいものでも食おうか」
小切手を見つめる、エリックの表情があまりにも柔らかかったので、ブラッドはつい見とれてしまった。
飲み物のレモンを咥えたまま、あほのような顔をして。だから反応が遅れてしまった。
「え？」
「招待するよ、ブラッド」
エリックは、顔の前にブラッドリー銀行の小切手、額面にしたらかわいらしいそれをかざして言ったのだった。
「ブラッド～お皿出して～」
ごちそうするから手伝いなさい、と厳命されているので、ブラッドは招待客兼お運びさんだった。
はーいと良い子の返事をして、独り者用の小さい食器棚からこんなかな？という皿を取り出した。
「エリック、これか？」
１枚を持ってぴらぴらさせると、肉を焼くのに専念していたエリックがこちらを見た。
「それじゃなくて、１番大きいやつ！」
でないと入らないよーとかなんとか言うので、言われたとおりに皿を仕舞い新しい皿を出し、よくよく考えると意味深いとかなんとか思いながら、エリックの台詞を反芻しているブラッドだった。本日のメインディッシュのように、胃袋が４つあるわけでもないのに。
おいしいものでも、というからてっきりレストランにでもいくのかと思っていたら、エリックはどうやら買出しに行ったらしかった。
やっぱり自分の目で見ないとね！とこまめに買いものに行っているのは知っていたが、野球のグローブのような巨大な肉を見せてくれたときには驚いた。
「いい肉だろう？これを焼くからな」
「バーベキューにはちょっと大きいんじゃ……」
ブラッドがそう言うと、エリックはきょとんとした顔をした。「ブラッドはバーベキューが良かったのか？ステーキにしようと思ってたんだけど」
バーベキューサイズにするとなると切らないと……とか言い出すものだから。
「いや別に！どーしてもバーベキューが食べたいってわけじゃないから！」
ブラッドはあわててそう言わなくてはなかった。なにしろ相手はもてなし好きの気まわし屋さんだ。
「そう？」
じゃあステーキにしようと笑う、エリックの口元がもう嬉しそうだった。よっぽど肉が好きなんだなぁとブラッドはしみじみ思った。
別にバーベキューが特別好きなわけではない。普通に好きなだけだった。ただ、ここでのバーベキューは、あまり好きではないかもしれなかった。なにしろバーベキューは匂いが出る、しかも外でやる。匂いに誘われて、あらぬ闖入者が来ては大変！とブラッドは考えたのだった。
どでーんとしたサイズのステーキに、ゆでじゃがいもにゆでブロッコリーゆでとうもろこしに焼きトマト、きのことほうれんそうのソテーにたっぷりのアップルソース！を作るのだとエリックは言った。
「……そんなに？」
「うん、そんなに。あとはパンだけど、足りない、ブラッド？」
そんなわけがあるだろうか？というほどの量をキッチンで見せつけられて、思わず何人分か聞きそうになってしまったブラッドだったというのに。「たくさん食べるねぇ」
「そうか？体力勝負だからこれくらいはね」
ブラッドの感嘆に対するエリックの返事は、語尾にハートマークがついていそうだった。そうとうの肉好き。
焼き加減にはこだわりがあるらしく、エリックは肉を焼くのにはこだわりがあるらしく、それだけはブラッドの手伝いを断った。かわりに、すでに茹で上がった野菜やソテーの盛り付けを頼まれた。あまり気を悪くさせない程度に、自分の分を少なめ盛りにするブラッドだった。
アップルソースは入れ物がないのでマグカップになみなみと入れてテーブルにあった。エリックはまだフライパンにかかりきりなので、暇になってしまったブラッドは冷蔵庫から持ち込みのルートビアを取り出して、一足先にはじめさせてもらった。
じゅうじゅういういい音といい匂いの手前に、エリックは立っていた。料理するから熱いから楽だからと、着ているものといえば短パンにランニング、それにエプロンという、たいへんに扇情的ななりで。はっきりいってこれは。
「ヘクトルの甲冑姿よりも露出度高いんじゃ……」
ルートビアのプルを開けた音とブラッドの呟きでエリックは振り返った。
「何か言ったか、ブラッド？」
腹減った？と無邪気な顔をして。「いや、何も。はじめさせてもらってるよ」
缶を掲げてブラッドが言うと。
「どうぞどうぞ。なんならつけあわせもはじめてくれていいから」
エリックは気さくに笑ってそう言った。
「うーん……」
それには気のない返事をして、ブラッドはさほど大きくもない缶の中身を一気に空けた。ノンアルコールだが、ちょと自分に、景気づけに。
「エリック……」
後姿というものは、どうもいろんな物をかきたてる。
決してその臀部に欲情したとか、ランニングの腕からのぞく皮膚にどうこうとかいうんでは、確かにないはずなのだが……だいたいそんなものは、撮影中にものすごく見ている。しかし、自分のために料理をしている人間の後姿というのはクるものがある。
ことに、それが家庭的なシチュエーションで、相手に特殊な気持ちを抱いているとあっては、なおさら。
（あーアダルドビデオの人たちの気分ってこんなのかぁ……）今までなんで、シンクに立っている女を、後ろから抱きしめたりおっぱじめたりするのか分かっていなかった。
何もそんなせわしなさそうなところでしなくたっていいじゃないかと思っていた。
だいたい作りかけやりかけの台所仕事はどうなるんだ？と首をかしげてすらいて。
今なら分かる、その気持ちが。甘えるようなすがりつくような、愛しくて触れずにはいられないような気持ちが、今なら。
「ブラッド？」
たとえ相手が、そんなに腹減ったのか？とか腰砕けなことを言おうとも。
ブラッドはかまわずエリックの腰を後ろから抱きしめて、肩口に顔をうずめた。
「髪がくすぐったいよ、ブラッド」
せめて結んでくれ、それに暑いし、危ないぞ、と教育的指導が次々とエリックの口からこぼれおちようとも。
肩にキスをした。もしかしたら痕が残るかもしれなかった。それでもいいか消す方法なら知っている、という、いささかやけのやんぱちなことを考えながら。
「ほら、出来たぞブラッド、皿頼む」
たいそう現実的な、そんなことを言われるまで。
ブラッドは母にしがみつく子供のように、エリックにべったりとひっついていたのだった。
エリックはうまそうにステーキを食べていた。それはそれは幸せそうに。
「……かわい……」
「え？」
つい心中の呟きが口をついてしまうブラッドだった。ついでに今飲んでいる赤ワインも口の紐をゆるめるのに、一役買っていた。
「いや、よく食べるなぁと思って」
「ははははは、ここのとこ外食がつづいてたから」
「外食苦手なのか？」
「ってほどじゃないけど、つづくとちょとね」
エリックは、アップルソ－スをたっぷりかけた大きな肉のひときれを、あんぐりあけた口に放り込んだ。
ブラッドの話に興味がないのではなくて、単にお腹が減っているのだった。ぱくぱくもぐもぐと、急いでいるわけではなかったが、いっときもやすまず食べていた。
「そういえばスープ作るの忘れてたな」
ブラッドは、ビールで腹を膨らませてしまっていたこともあって、３分の１残してリタイアしてしまった。それでもつけあわせは食べたのだが。野菜も食べなさい！というエリックの厳しいお達しに従って。エリックがまだ食べているのは、ブラッドの残りももらったからだった。最初は、あとで別の料理にでも使うから、と言っていたのだが九部通り食べ終わって、なんだか食べたそうな顔をして眺めていたので、ブラッドがよかったら食べないかと進呈したのだった。「作ろうか？」
キッチン貸してくれれば作るぞ、とブラッドは言った。残り少なくなったワインのほとんどは、ブラッドが飲んだのだった。
ある目的のための景気づけには、どれだけアルコールを摂取しても、しすぎということはなかった。
「いやでも悪いし」
だいたいブラッド入るの？と聞いているうちに立ち上がった。なにしろトレイラーハウスだから、食堂イコールキッチンみたいなものだった。
「鍋借りるぞ」
片手鍋を持ってブラッドが言うと、ちょうどパンに肉汁をつけて頬張っていたエリックが、こくこくうなずいた。１人分のお湯を入れて、これはさっき冷蔵庫を開けて確認済みの固形スープの素を入れて目についた野菜のきれっぱしをさらに細かくして入れて、ひと煮立ちしたら出来上がりの、とても簡単なコンソメスープをスープカップ兼マグカップに入れると、エリックの前に置いた。
「すごいすごい、ブラッド！」
素直に感心してくれるのがなんだかこそばゆくて。
「味の保証はしないぞ」
適当に味付けするからな、と言って座ってまたグラスならぬコップワインに手を伸ばすと。「そんなことないよ、いい匂いだ」
カップから立つ、湯気の匂いを嗅いでいる姿も、なんてセクシュアルなんだろうと、思ってしまう時点で終わっているという自覚はあった。こんな風に見つめられて、誉められるとときめいたらそれはもう。
笑顔がまぶしいだなんて、腐れたことをでも事実だから仕方ないなどと腹をくくってしまえばもう。
「ご馳走するつもりだったのにな」
あべこべにご馳走されてしまった、と熱々の薄味スープに美味しそうに口をつけながらエリックは目を細めた。
そういえば初めて会ったとき、なんて目の目立つやつだろうと思ったっけ、とブラッドは誉められて嬉しくて、有頂天になどなっていないふりをしながら思い出した。真昼間で日差しが眩しくて、自分はサングラスをしていても目つきが悪かったのに、現れたエリックもサングラスで、はたから見たら何の集まりだ？という顔ぶれで、それでもサングラスをはずしたら、思いもかけないほどきれいな眼差しで。
「――――ブラッド？」
現実のエリック声で、ブラッドは過去から現在へ戻ってきた。
「あ、ああ、なんだ？」
すまないちょっとぼけてた、とブラッドが言うと、なんのなんのと返しながらエリックは言った。「このスープ固形スープの素のほかに、何か味付けするのか？」
「お好みで塩コショウ少々、ってとこかな？そんなには入れないな。あっさり味に仕立てないなら」
「なるほど」
こんど作ってみよう、と言いながらエリックはスープも飲み干し食事を終えた。
「ごちそうさまでした」
きちんと挨拶をして。
ブラッドも唱和したものの、タイミングを計るのに忙しくて、心ここにあらずの『ごちそうさま』になってしまっていた。さっきからやけに、エリックの口元喉元が気になって。水を飲むとか物を食べるとか、そういう動作はすべてセンシャルなイメージを喚起するといった、あれは誰だっけ？誰だか忘れたが、あんたは正しいよ、とブラッドは相当やけになって賛同した。
もうずっと、エリックの咀嚼の音、嚥下の音、エリックのたてる音が、物を食べる姿が気になってしかたがなかった。それでいて、真正面からじっと見るのも決まり悪く、食事が進まずに酒ばかりかっくらって横目でちらちらとエリックを見て。
なんたるみっともないざまだ！食事を終えてた皿を片付けにかかる、食後に何か飲むか？と朗らかに言う人に、こんなに欲情しているだなんて。自然とブラッドはぶすくれた顔になっていた。だからエリックが心配するのはもっともだった。「どうしたブラッド？気分でも……」
悪いのか？とつづくはずだった唇をキスで塞いでしまった。エリックの腕を取って引き寄せて固く目をつぶっていたから、少しぶつかってしまった。それでも、ちょっとだけ唇をなぞるのを我慢することは出来なかった。触れるだけに、ほんの少し色をつけただけのキス。それでもキス。一応キスだった。
「ブラッド……？」
「うん。このくらいの塩気ならいいか」
わざとのようにぺろりと、自分の唇も舐めて。
「人でスープの味見をするな」
ぽこん、頭にげんこをされた。
「ステーキも美味かったよ」
「つけあわせは？」
笑いながらエリックは言った。
「つけあわせも。エリックの秘密も分かったし」
「秘密？」
自分でも分からないような秘密？と笑ってくれたので、ブラッドの気は少し軽くなった。同時に、軽くがっかりもしていたが。
「これを維持するには、ある程度の動物性蛋白質が必要なんだってことが」
ブラッドはそのまま、エリックを引き寄せて抱きしめて、その豊満な胸に顔をうずめた。
「よく、分かった」
それに関してのエリックの答えは、もう１度さっきより強めのげんこつだった。
４４４４４４HIT記念リクエストその１でゴザイマス。
謹んでｒｉｃｏさんに捧げます。
エリックとブラッドはいつくっついたの？という問いへの３択、
①一目会ったその日から
②ふざけたふりしてはじめてキスしたときから
③やっとセックスにこぎつけたときから
のどれかのシーンというリクエストでした～。
リクエストどうもありがとうございました！……しかし心残りだ……（いきなりソレかい！）。
いっそ３択全部をマッハの勢いで駆け抜ける人たち
なんてものをやりたかったんだが……さすがに無理じゃった。
そりゃそうだ！ひとめ会ったその日からなんて
エリックがハゲシク抵抗するに決まってるからな！（笑）