「……くちなしの匂いがする」
「うん？」
２人で公園を歩いているときだったラスティが案内するよりも先にエリックが１人で近隣をまわってしまったのが、実はラスティをがっかりさせていた。
幼い子供の手を引くようにして、ひとつひとつを教えたかったのだ。それも一緒に。その夢破れて、ちょっとがっかり継続中のラスティと一緒に、
今日は付近の散策だった。ラスティのホテル業というのは、休みが定まっていない。何しろ契約従業員ではなく、オーナーだからだ。
最近では、ルーベンの忠告を聞いてビジネスマネージャーを入れているので、以前ほど毎日毎晩キリキリカリカリしていなくてもよくなっていた。エリックが来たから、
一緒にいる時間を増やすため、という説が有力だった。今日はやすみ！誰がなんと言おうとやすみ！と宣言して出てきたラスティはなんと、
一心同体なのでは？しっぽと一緒で必要欠くべからざる付属物なのでは？と噂されている携帯電話を置いてきたというのだから驚きだった。
職業柄持ってはいたがプレイヴェートではあまり使うことのなかったエリックは、最初から置いてきていた。あまり持ち歩くという習慣がないし、
ラスティが持っているので、いつでもどうにかなるからだった。だいたい今持っているものも、ラスティがもしものときのための連絡用にとムリムリに持たせたものだったので。
「くちなし？この甘ったるい匂いが？」
「そう。ああ、やっぱりあった」
公園の鉄柵からほんの一群れが顔を出していた。白い花は、ほんのいくつか咲いているだけだというのに、近づくにつれてその芳香は際立ってきた。
「こんな少しなのに、よく香るなあ」
エリックは嬉しげにその白い花に見入っていた。芳香よりも白い花よりも、エリックのほうがよっぽどきれいだ、とラスティは思いながら見ていた。
近頃すっかり、やにさがっているのを表には出さないでいるという技を身につけつつあった。もっとも、
見るものが見ればそのデレデレさ加減は一目瞭然だったが。
「花の香りはやさしいな」
香水とかの、人口の香りがあまり好きではないエリックだったが、ここまで香らなくても植物の匂いは大好きだった。動物の匂いも平気だった。
駄目なのは人工の香り。おかげで最近すっかり、コロンやトニックを使わなくなった、ヘルシー風味のラスティなのだった。ラスティはいがぐり頭なのでちょうど良かった。
ここでもし、摘んでいこうか？などと言うと、窃盗罪についての講釈がはじまってしまうのは目に見えていたので、ラスティは違う返事をした。
「クリームみたいな匂いだな」
食いたくなる、とラスティが言うと、エリックは笑った。
「腹が減ったか？」
「いや、でも……そうだなアイスクリームでも食べようか？」
買い食い立ち食いの王者で、アイスクリームジャンキーの気のあるラスティは、真冬でも屋外でも気にせず食べていた。もしかしたらそれで、
気候のいいロスに居を構えることにしたのかもしれなかった。ニューヨークではさすがに、真冬の寒さに危険を感じたのかもしれなかった。トライしてみたことはもちろん、
あったのだが。
「くちなしの？」
「あったらそれ。いいアイスクリームスタンド知ってるんだ」
「そうだろうな」
笑いながらエリックは言った。ラスティのことだからきっと当然、何軒もの『いいアイスクリーム屋』を知っているに違いないと。
「それじゃ、行こう行こう！」
さあ行こうすぐ行こう！と、ラスティはエリックの手を握って歩き出した。
たいそうな早歩きで、踊るような足取りで。
ラスティおススメの、面白いアイスのあるスタンドにはあいにくくちなしのアイスクリームはなくて、かわりに食べたのは。
「どうそっち、ハイビスカス」
「うん、どうなることかと思ったけど、美味しいね」
「だろ？」
良かった、とラスティは笑って自分のあずき味のとさくら味のアイスを賞味していた。
「さくら？」
「あそこ、日系人がやってるんだ」
「ふうん」
話しながらも、溶けないうちにアイスを食べなくてはならないので２人は忙しかった。
「食べてみるか？」
ラスティが自分のをエリックに差し出した。
「ありがとう」
エリックは礼を言ってひと舐めした。その表情やハイビスカス色に染まった舌を見て、ラスティはまた、
心ゆくまでざぶざぶとお湯にひたるように至福にひたった。ものすごくいまさらなことに、間接キスにも喜びながら。
「おいしい」
「だろ？」
ぶらぶらと公園をそぞろ歩きながら、犬の散歩に目をとめ、かわいい親子連れに目を細め、草木の名前をあれこれ推察していった。
「こういうのも、いいね」
エリックが言った。
「うん？」
「こういうふうにのんびりと散歩するってのが」
「そうだな」
夕焼けがはじまりつつある公園を、とてもゆったりした気持ちで歩いていることが、得難い幸せであると思っているのはエリックも同じだった。
「ラスティと……一緒にいるからかな？」
エリックははにかんだように微笑んで、夕焼けがうつっているからだけではなく頬を赤らめながら、言った。
「エリック……」
へへへ、言っちゃったとばかりに、ラスティのほうを見て笑うエリックの、手に、自然とラスティの手が伸びた。さまようように何度も指を触れ合わせて、
それから思い切ったように、指を絡めた。ラスティは、こんなにドキドキして心臓が飛び出しそうになりながら人の手を握ったことなんて、
今まであっただろうかと思った。そして、エリックがその手を握り返してくれたときにラスティは、
自分は今きっと、雲の上を歩いているにちがいない、と思ったのだった。
「ラスティ？バスローブが見あたらないんだが……」
バスルームから顔をのぞかせてエリックがそう言うのを、実はラスティは待っていた。だがそれをエリックに知られてはならなかった。
何食わぬ顔をしてラスティはソファから顔だけエリックのほうを見て言った。
「そこにないか？」
置いておいたはずなんだけど、とラスティが答えるとエリックはもう１度探すために顔を引っ込めた。そういう話をしているときのエリックの格好は
タオル１枚なんだろうかと思うと、ついまた突発性対象限定性顔面筋肉弛緩症が発症してしまうラスティなのだった。
「ないぞラスティ。タオルみたいなの、はある…け…ど……ラスティ！」
あ、気がついたとラスティはそれまで手にしていた雑誌をテーブルに置いた。エリックは興奮のあまり、そのままの格好でラスティの元までやって来た。
すなわち、腰にバスタオルを巻き、手にはバスドレスを持ったまま。
「うん、どうしたんだ、エリック？……いでででででっっ！」
エリックは、ラスティのしらばっくれにはつきあうつもりは毛頭なかったので、いきなりラスティの嘘つきな口をひねり上げた。容赦なく。
「これを着ろって言うのかっ！？」
エリックが手に持っているのは、生地こそタオル地であるものの小さな女の子が着てもミニといった丈のサンドレスのようなデザインの、すなわちどう見ても。
「これは女の子の着る物じゃないか！！」
バスドレスを手に、月に吼える狼男の如く、エリックも吼えた。
「まあまあまあまあ」
「まあまあじゃなーい！」
「とりあえずエリック、そんな格好してると」
そこでラスティは、エリックの裸の肩にそっと手を置いた。
「風邪ひくぞ」
この時のために、部屋をギンギンに冷やしておいたのだった。まだしっとりと水分を含んだ肌の、さらさらに乾いたときとはまた違うその感触を、
ラスティはひそかに楽しんだ。しかしすぐにその意図はエリックに知れて、楽しみすぎて動かした指をぴしゃりと叩かれた。
「いてっ」
なんだこの温度は、不経済な、とか言いながら、エリックによって、エアコンは適性温度に戻された。
「着て、くれないか？」
ラスティは素直にお願いしてみた。
「〜〜〜〜っ」
「ダメ？」
「………今回、だけだぞ」
「エリッーク！」
ラスティは、今度はお楽しみのうんぬんではなく、大喜びしてラスティはエリックに抱きついた。
熱烈なキスは、エリックも意趣返しとして手のひらでブロックして拒んだのだが。
「だいたい……なんだってこんな格好をさせたがるんだ、ラスティは……」
エリックは、湯上りだからというのだけではなく頬を赤らめ、ちょっと涙目になりつつそう言った。手は、一生懸命それ以上伸びようもないバスドレスの裾をひっぱっていた。
女の子が着ても短いだろう長さのそれは、体格のいいエリックが着るとますます短くて、ほとんど足の付け根が裾だった。
それだからエリックは、ソファに浅く腰掛けて、精一杯膝を閉じて座っていた。それも履かせないなどといったら、
窓から逃げ出しそうな勢いだったので、さすがに下には下着をつけていた。それだってかなりのところ、見えそうで見えないという、大変にきわどい状態だったのだが。
「飲むか？」
フルートグラスにシャンパンを入れて、ラスティはウエイターよろしくエリックに給仕した。エリックも好きな銘柄の辛口のシャンパンだったが、
今日は少しも楽しむ気にならなかった。いらない、といじめられた子供のようにふるふると首を振るエリックの隣に座って、ラスティが肩を抱こうとすると。
「………」
思い切りソファの反対側へと逃げられた。
「……エリック？」
上目づかいは、ほんのちょっと恨みがましげで、エリックは着たことは着たものの一刻も早く脱いでしまいたいのがありありだった。
ラスティも着てもらったことで満足して、これ以上のお楽しみはあきらめるべきかなと肩をすくめた。
「ラスティは……」
「うん？」
ラスティは、ちょっと不貞腐れ気味にソファにのびのびとそっくり返るように両手を広げ足を組みしてフルートグラスの中身を賞味した。
「どうしてこんなことをしたがるんだ？」
「うん？」
口から出たのは同じ言葉だったが、気持ちが変わっていた。エリックの言葉の響きに、ラスティは膝に肘を突いて、飲み干したグラスをそのまま、両手で持ち直した。
「こんなって？」
「女性の服を着せたがったり……」
「あれは仮装」
「……へ、変なこと、させたがるし……」
「どんな？」
しらばっくれてラスティが言うと、エリックは顔を真っ赤にして口ごもった。
「……や、やだって言ってるのに、あんなことして……」
「エリック！？」
エリックの涙腺が、ついに臨界点を越えてしまったようだった。そして、涙が出ると人は、連鎖式に口もうまくまわらなくなる。
「……で、で、も……ラスティが……から……あん…な……」
逃げられようとどうしようと、いまこそエリックのところに行って、そして手を取ったり抱きしめたりしなくてはならなかった。
それはわかっているのだが、ラスティはその幸せなながめに、うっとりするのを抑えられなかった。
「エリック……」
ようやくエリックにたどりついたものの、抱きしめるために手も、手を握るために手も、ラスティの手はすべて振り払われた。エリックは相当本気で
嘆いているようだった。
「い、いまだって…こ、こんなのっ…着せようとする、し……！」
もうこんなの脱ぐー！とエリックは立ち上がって、バスドレスの裾を掴んだ。
「エリック！」
風邪ひくから本当に！とラスティはかくしておいたいつもサイズのバスローブで、半裸のエリックを包み込んだ。
厚地のバスローブの襟元は、たちどころに色が変わっていった。エリックはえぐえぐ泣くばかりで、それを止めようもないようで、
脱いだバスドレスでぐしぐしと拭いていた。肩はまだ、揺れていた。
「……ごめん。エリックが困ったり照れた顔したのが見たかったんだ……そういう顔、すごくかわいいから」
ラスティはさっきのエリックの質問に答えていった。
「ガキんちょと一緒だな、好きな子ほどいじめてみるっていう」
「いったいいくつになるんだ、ラスティ？」
「小学校は大分前に卒業しました」
「情緒はちっとも成長してない……」
「ハイ、すみません」
反省してます、とラスティが神妙に言えば。
「まったくだ」
もっとしなさい、とおごそかにエリックも言い返した。
「はい」
神妙に答えて、腕はぎゅうぎゅうとエリックを抱きしめて。
「また汗をかきそうだ」
だからいいかげんに離せとエリックが言えば。
「冷蔵庫にアイスが……はいはいはい、昼食べたからもう食べませんね？」
「分かればよろしい」
エリックは、すっかり悪ガキ相手の、小学校の先生のような気分だった。当たらずと言えど、遠からじ？
「まったく……誕生日だからとねだったって、もうあんなのは着ないぞ」
「……ハイ。ああ、でも大丈夫」
「ん？」
「俺の誕生日の頃って言ったら、バスドレスよりもやっぱりバニー……」
今度こそラスティは、エリックの鉄拳制裁を受けたのだった。
くちなしとアイスクリームとバスドレスという
なんだか３題話のようになってしまった（笑）。
そろそろ本格的な夏ね〜などと思っていたら
一気に夏本番！という感じになってしまった。
アイス食べるにはいい日和かな？