「何か欲しいものはあるか？」
ラスティは出来る限りそっと囁いた。
ベッドで丸くなっている、エリックの耳元に吐息だけを送り込むようにそっと。
「いや、べつに……」
すまない、というのは禁止！と最初に厳しく言っておかなければ、標準装備でその言葉が飛び出してきそうだった。
エリックは微熱でうるんだ瞳で、ラスティを見上げた。病気でなかればこのまま、ベッドに飛び込むねこりゃ、と思いながらもラスティは、ぐっとガマンがまんの子で言った。
「それじゃ食べやすそうなところを、適当に見繕っておくよ」
エリックの、そこだけ出ている黒い巻き毛に手を置いて、抱え込むようにすると、エリックはとても安心しているようだった。
ラスティの手と、ほのかにかかる体重に、すりよせるように身じろぎした。
「ありがとう……」
すまない、とそれに類する単語は禁止されているので、感謝の気持ちを表せる言葉はそれくらいしかなかった。上出来、とラスティは笑みをさらに深くして、エリックの額にキスをした。
「ゆっくり寝てて。おひるにまた、見に来るから」
そこまではいくらエリックでも拒めないだろうことを言って、ラスティは後ろ髪どころか全身を引かれながらベッドルームを後にした。後ろ手にひらひらと手を振ることを忘れずに。見送っているだろうエリックの視線を、全身に感じながら。
エリックは夏風邪を引き込んでいた。
蒸し暑いかと思うと急に涼しくて、うそさむいくらいで、この地の気候になれているラスティでさえ、ちょっとアイスはやめておこうと思ったり思わなかったりの日々に、体調を崩していたのは確かだった。でも、それくらいで、ユーロポールの敏腕セクシー有能キュート知的エレガント優雅パワフル（ずっとつづく）捜査官だったエリックが、風邪を引くなんて有り得なかった。それはひとえに、まだなれない土地での仕事ではない気を許した滞在と、ラスティが原因だった。
「なに？」
「いや、いい眺め」
風呂上り、バスローブ一枚の格好なんて、めずらしくもないはずなのに、ラスティは見惚れながらニヤニヤ眺めるのを止めようとはしないし、エリックもそれを流すのに馴れていた。
「あそ」
そう言ってエリックは、髪を拭く手を止めてエアコンのリモコンを手に取った。
「暑い？風呂上り仕様に冷やしといたつもりだけど」
「ありがとう、でもちょっと冷やしすぎ」
何しろラスティは名にし負うアメリカンなので、冷やすといったらギンギンに冷やす。ヨーロッパ生まれのヨーロッパ育ちで、しかも機械で冷やしたりあっためたりの好きではないエリックとは、なかなか適温があわないでいるのだった。ぴぴっという電子音と共に、冷房温度低めだった部屋を、除湿温度高めに設定しなおしたエリックに、魔の手はせまっていたのだった。
「ラスティ？」
ひちゃっと、背中に張り付いてきた家主に、エリックが怪訝そうな声をかけた。
「暑い？」
もしかして気に入らなかった？とエリックが問えば、すでにエリックの髪からするシャンプーの匂いと（自分のト同じ）、体臭に入り混じったボディソープの香り（自分のと一緒）、それから腕の中のエリックとエリックの首筋に耽溺しきっているラスティは言った。
「んーん」
「ラスティ？」
「もうちょっと冷やしておこう、エリック」
「身体に悪いぞ」
「身体にイイことしよう、エリック……」
「ラースティ」
いつの間にかリモコンはラスティの手の中にあって、設定はまた戻されていた。「エリックのいい匂いがする……」
「シャンプーもソープも君と一緒……これ、どこに手を入れてる」
「エリックの太股……ああ、いい手触り……」
「ラスティ」
「エリックー」
「なんだ？」
「愛してるよー」
「ありがとう、わたしもだよ」
「セックスしよー」
「酔ってるのか？」
「エリックに酔っ……ぶ」
「そういうことを言うなというんだ」
「だってホントのことだしー」
「ここでか？」
「どこでもいいー」
そんな調子で始まるのはいつものことだったが、昨夜ばかりは場所が悪かった。
ちょうどエアコンの風のあたる場所だったのだ。
最中は暑かったし気にする余裕はなかったし、事後も涼しくて快適なくらいだったし、終わってまた入った風呂では、よくあったまって手足を伸ばしたはずだったのに、目が覚めたら喉が痛かった。しかもだるかった。そしてそれはどう考えても、いわゆる房事過多によるだるさではなかったのだった。
（こんな初歩的なミスで風邪引くなんて……）
寝てな寝てな、とラスティは笑って言った。
（確かに体調は思わしくなかったが、それまではこんな風にぼへっとはしていなかったのに……）
さすがにベッドにはエアコンの風は直接当たらないようになっている。それでも、風邪ひきさんに冷房はよくなかろ？とラスティは定期的に換気をするようにだけ設定して行った。
（不覚……）
なんだかもう、すっかりしっかり耽溺している。
それは、ラスティとの暮らしだったり、ラスティとのセックスだったり。
（一緒にいるだけでももう充分……）
耽溺している自覚はあった。それを思うと、風邪から来る熱のせいばかりではなく顔が赤らむくらいに。口を開けばもへーとかいう、意味のない言葉が口をついて出そうだった。
ここはきちんと身体を休めて、早いとこ調子を戻さねば！と、エリックは気合い込めて目を閉じた。そうするだけでもう、寝てしまいそうなくらいに身体は参っていた。
（なんだかんだで疲れとかたまっていたのかなぁ……はしゃぎすぎかも？）
母の病気入院からこっち、ばたばたしていたのは確かだった。つづく葬儀にラスティとの再びの出会い、そして父と再会して、アメリカに来て、それからも色々あって。
（ラスティ……）
不調のせいで心細くなっていた。わけもなく泣きたいような気持ちになって、小さな子供のように、ラスティのシャツにしがみつきたかった。
（しっかりしろ、エリック！ラスティは仕事中！）
でも今こうしている、心の中でラスティを呼ぶくらいはいいだろうと、エリックはめそめそしがちな気持ちのままにベッドの上で丸まりながら、呪文のようにラスティの名前を呼んだ。
そういているうちに。「エリック、エリック？」
「……ラスティ？」
夢かと思ったら本物だった。ベッドに腰掛けてその重みでたわんでいるのはラスティのしわざだった。
「ラスティ、しごと……」
「もうおひるだよ、エリック。よく寝てたけど、食べられそうなら何か腹に入れたほうがいいから。だから起こしたんだ、食べられそうか？ああ、少しは熱下がってるな」
おでこにごっつんこ、それから首筋に手を当てて、ラスティはエリックの熱を測った。
「具だくさんスープでもどうだ？気分が変わるから、起きられそうならリビングで」
「……たべる」
「よしよし、デザートは何にする？プリンもゼリーもアイスもあるぞ？もちろん果物も」
なんでもござれだ！とラスティは胸を張って言った。
「……レモンシャーベットとチョコレートアイス」
「山程買った」
いじわるのつもりではなかったが、ラスティの言わなかったものを口にすると、ラスティは得たりと笑って答えた。
「調子悪くなると、そればっか食べたがったからな。いちごもあるぞ、冷凍だけど」
「……ありがとう」ラスティの作ってくれた、パスタ入り具だくさんスープを食べられるだけ食べて、エリックはまた眠った。
寝る前に、喉イタにはこれが効くぞ、とラスティご推奨のはちみつをひとさじ食べた。
あまくとろける黄金色は確かに痛む喉によく効いて、ラスティが帰ってくるまでの眠りを、ずいぶんを気分のいいものにしてくれた。医者なんて大袈裟！とエリックが言い張ったので、ホテル御用達のドクターは、どうにか呼び出しを免れた。自分がどんなラッキーに見舞われたかは知らずに、きっと今頃は意中の看護婦を口説いているところだろう。
夕飯には餃子スープが食べたいとか言って、ラスティを困らせたり喜ばせたり。
病気の真っ最中にはいいことは考えられないけれど、治っていくのはいいもんだ、と思いながら。
本当にいいのか？と何度も念押しするラスティと、シーツを替えたベッドに丸くなって。
汗じみてて悪いけど、と言ったら、そんなこと気にしなくていいの、と鼻にキスされた。
でもくれぐれも風邪をもらってくれるなと言ったらば、夏風邪はうつらないそうだと返事が来た。
ラスティの寝顔を見ながら、ラスティの寝息を聞きながら、ラスティの体温を感じながら。
１日の最後の眠りは、エリックにとって、その日のうちで１番幸せなものになった。
この話を書いた理由。
その１、自分も夏風邪を引いたので（笑）。
その２、さがみんさんの日記に書いてあった
『ラス襟』の３文字に高速回転して（笑）。
みなさんも、冷房の直撃にはご注意を♪