「あ……あ…んぁ……あぁ………っ…」
気をやって果てたヘクトルを抱きとめてやりながら、アキレスは意識朦朧としているヘクトルにやさしく微笑みかけた。しかし、
背後にほそむ者には容赦がなかった。する必要もなかった。
身内でも同胞でも、いとしいものでもないのだからと。
「ひとつしかない命が惜しかったら立ち去るがいい」
どんなときでも手の届く場所から離さない剣をつきつけられた、相手のほうこそ気の毒というものだった。
目にもとまらぬはやさで喉元につきつけられた剣は、正確にのどぼとけの皮一枚を切り裂き、血を流していたのだから。
「う……あ……」
夜の神殿に明かりがあるとはいったい？さてはトロイの奪還偵察のたぐいかと、点数稼ぎのために単独で忍び込んできた男だった。
神殿はプティアの、その強さは神の如しと讃えられるアキレスの持ち物であることは、百も承知で。
あわよくば、プティアのアキレスの弱みのひとつも握れるのではかという目論見は、あっさりと費え去ったのだった。
他ならぬ、アキレス自身の眼力によって。
「立ち去れ、そして他言無用だ」
そう言いながらアキレスは、相手の顔をひたと見据えていた。相手は火を持っていたので顔を見ることが出来たが、
相手からは振り向いたアキレスの顔しか見ることは出来なかっただろう。底光りするアキレスの目と、残忍極まりない、
彼らの盟主をして『生まれついての殺し屋』であると言わしめたあの顔しか。
もしもこの男がおかしな気を起こしてアガメムノンあたりにこれこれと意味ありげに密告などしても、はねのけずに置くつもりなどないアキレスだったが、
余計な悶着など起こらないに越したことはなかった。ヘクトルの姿は、アキレスが夜そのものを纏ったような長衣によって、
巧妙に隠されていた。見えたとしても、ヘクトルの黒い巻き毛がいくたりかといったところだったろう。
アキレスにとっては、それを見せることすら慮外なことではあった。
ふるえ上がりながら男は、なんどもうなずこうとし、そのたびに喉元の剣に気づく有様だった。
失禁されたり腰を抜かされたりしたら厄介だと、アキレスは脅すのはそのくらいにして、顎をしゃくった。はやく立ち去れ、さもないと
と視線だけで相手の男を威嚇したのだった。
誰にも邪魔されたくなかった。ヘクトルとの、この濃密な時間を誰にも――――。
「あ……」
ほどなくしてヘクトルは目を覚ました。
出歯亀男とのやりとりにも覚醒しなかったのだから、アキレスとの交情がよほど篤かったのか、それとも
アキレスの腕に抱かれていることが、それほどまでに安堵できるものだったのか。
「起きたか」
アキレスは意識のない状態のヘクトルの寝顔にも似たものを存分に堪能した。その光ひとつでは、どんな足元も見えはしないだろうという
とぼしい灯かりで充分だった。それだけでヘクトルの黒髪にふちどられた、対照的に白くさえ見える顔立ちが、
とてもやすらかに目を閉じていたのだった。その顔が身体が、さきほどまでのあまるほどの快楽と愉悦、
そして今このときの充足は我ながらそらおそろしいほどのものをもたらしたのだった。
「あ……わ、たしは……？アキレス……？」
「ここにいるぞ」
これでも飲め、とアキレスは手近の酒杯から一口含むとゆっくりとヘクトルの口に流し込んだ。
「ああ……」
命の水のようなその葡萄酒に、ヘクトルは開けた目を細めて嘆息した。
「そんな顔をしていると、いますぐまたはじめるぞ」
アキレスがからかうようにそう言った。あながち、揶揄だけではなさそうな、本気のひらめきの見える目に、ヘクトルはこの上もない喜びを感じて微笑んだ。
「美味い」
「だろう？オデュッセウスの、秘蔵の葡萄酒だ」
「……それをどうやって手に入れ……まあ、いいか……」
「そう、どうでもいいことだ。問題はこれが、徹頭徹尾あいつの手作りということだけだ」
「これを？……オデュッセウス殿は器用だな。わたしなど、作っているのを、ちらりと見たことがあるくらいだ」
「作る必要はない。あんたは捧げられたものを嘉納していればいいんだ」
アキレスはヘクトルの、手綱を握り剣を取り生活をしている、お世辞にも繊手とはいえない手を取り、うやうやしく指先にくちづけた。
目にはさらなる、渇望の色をのぞかせて。
射すくめるようなアキレスの視線にぞくりとしながらも、ヘクトルは手を取り戻すことは出来なかった。アキレスはヘクトルの指先をほんの少し含むと、
指の付け根にそして手首を持って立てたヘクトルの手のひらへとくちづける場所を移していった。
「アキレス……」
たった一度の交情では、とても終われるものではなかった。これはまほんの小手調べ、序盤にすぎないししたくはないというのは、どちらもが思っていることだった。
「ヘクトル……俺の……いとしい……」
アキレスは、ヘクトルの愛を希うあわれな取るに足りない存在に成り果ててしまったように、ヘクトルの手に何度も何度もくちづけた。
「アキレス、アキレス………わたしの、アキレス……」
おずおずとヘクトルは手を伸ばし、取られていないほうの腕を回して、アキレスの背を、なめらかな豊かな筋肉のついた肩を撫でた。
『わたしの』と言うことによってヘクトルは、心臓が破れてしまうのではないかというほどの思いを味わった。
アキレスがあきれた顔をしやしないか、俺は誰のものでもないと怒り出しはしないかと思うと、アキレスのほうを見ることすら怖かった。
「ヘクトル、ヘクトル」
しかしアキレスがそう言って、ヘクトルの頬にそっと手をやるに至って、観念してその目を開けた。すると、ヘクトルの思いもよらないものがそこにはあった。
そうだったら、どんなにいいかと思っていたものが。アキレスの笑顔が。
「ヘクトル……あんたは俺のものか？」
思いが胸をふさいでしまい言葉を発することが出来なくなっていたヘクトルはためらいもせずに頷いた。
「俺も、あんたのものだ、ヘクトル」
「アキレス……」
「俺のものだ、ヘクトル……」
アキレスは、思いの丈を込めてヘクトルの手首にくちづけた。それから、腕に肩に首に顎に頬に額に髪に。そして、くちびるに思いを込めて。
「アキレス……」
息だけで呟きながらヘクトルはしあわせでめまいがするようだった。アキレスの顔が、至近距離であるからではなくぼやけて見えた。
「アキレス……」
解放された両手で、ヘクトルはアキレスを抱きしめた。アキレスもまたヘクトルを抱きしめた。
どこもかしこも、分かち難く結びついて、神殿の夜はそうして更けていったのだった。
「あう……あ…あ、あぁっ……」
エリックは眉をしかめ、そして頭をうちふるった。
口は開かれたままで、エリックは川遊びの最中に溺れそうになって、懸命に呼気を求めるように喘いでいた。その動きに従って、ヘクトルになるためにつけたされた髪が左右に動いていた。『ヘクトル』の、この長い髪が好きだ、とブラッドは思った。
作中アキレスはよく髪の匂いを嗅ぐしぐさをするが、この髪にならいくらでも顔をうずめ、その髪のその汗の匂いを、いつまでも嗅いでいたいと思うのだった。
「あ、……あああっ……あ、あ……イィっ……」
ブラッドの頭を抱きしめながら、エリックは切なげな声を上げた。エリックの足を抱え上げただけの、立ったままの不自由な体勢からのブラッドのゆさぶりでもたまらないようだった。
「エリック……」
自分の声とは思えないほどうわずってかすれてきっている、とブラッドは思った。確か自分も以前には、女としていたはずなのに、ブラッドにはもう、その頃のことを思い出すことが出来なかった。
エリック以外の誰も。
忘れてしまっていた。エリックはどうなのだろう？ブラッドも、男とするのは初めてだった。エリックもそうだと言っていた。それなら昔は人並みに女性経験もあるはずなのだが、こんなではたしてちゃんと女を抱けていたんだろうかと余計な気を回してしまうほどだった。
エリックがよかった。
エリック以外は考えられない。少なくとも、今は。
こうしている今は、エリック以外のことなど考えたくもなかった。
「エリック……」
鼓膜をふるわせる、その音までもがいとしいというように、ブラッドはくり返した。
「あ…あ……」
２人ともまだ衣装をつけたままだった。だからエリックは『ヘクトル』だったし、ブラッドは『アキレス』だった。
「……衣装を汚すなよ」
「……ミニスカートの女の子をヤるみたいだ」
などという軽口を叩いていられたのも最初のうちだけだった。セットの影で、誰にも知られないように、深く結びつきたいと思ったらもう大変だった。それでも、衣装を脱ぐ間も惜しくて、どうしても、と思うときはあるのだった。「あ……アキ、レ…ス……」
「ブラッド」
「あ、ブラ…ド……」
呼び間違えられて、ちょっとむっとしながらちょっと笑いながら、ブラッドはエリックの鼻をつまんで訂正した。
「ごめ、ん……」
少し我に返ったエリックは、すまなさそうにそう言った。
「間違えるか？こんな格好をしてると」
「そ……あうっ！」
尋ねておきながら返事を奪うように、ブラッドは一段と激しくエリックを突き上げた。エリックはそのまま、空まで飛んでいってしまうのではないかと思った。まるで子供の作るロケットのように、空高く、どこまでも。
「あ、あ……あ、ブラ……あっ……」
ついに泣き出したエリックの顎にキスをして、ついでに頬を舐めながらブラッドは下肢を擦りつけつづけた。エリックはもうなすがままにゆすぶられていた。アキレスの衣装のままなので、ブラッドは茶色い甲冑姿のままだった。必死ですがりつこうとしているのだが、何度も汗ですべらせて、エリックはとても掴みづらそうだった。
「ブラッド……ブラッドォ……」
「うん……うん、エリック……すごく、イイ」
ブラッドがそう言うと、エリックは嬉しそうに笑った。笑うエリックに、ブラッドはキスをした。
とてもまだ、終われそうもないけれどそれでも最初の終わりは来る。これはダメだ、とブラッドは思った。とてもまだ、１回では終われそうもないと。
ここでこのまま？それとも、どうにかして衣装を返して、それからトレーラーハウスでゆっくりと？
そのことをヘクトル……いやエリックに、聞いてみなくてはならないな、とブラッドは思った。
そして、エリックの中で開けるわけにはいかない埒で、エリックの極める声を聞きながら、エリックの足を白濁したもので濡らしながら。
手にしたエリックの手首に情熱的なキスをした。
手首にキス話その２。
Ｗｅｂ拍手ありがとう小話にどうかな？と思っていた手首にキスネタですが
ありがとう小話にするには長くて
しかも話の性質上、どーして１８禁になっちゃうので
Ｗｅｂ拍手にのせるにはちとまずいのが特徴のようです。
なにしろ『手首にキス』＝『欲望のキス』なのでしようがないのかな？（笑）