「さすがに見晴らしがいいな」
その声が聞こえると、ぼんやりと町の灯かりを見ていたヘクトルは、あわてて目元をこすった。
「風も強いがな」
声の主はすぐそばまでやってくると、トロイで１番高い建物の、さらにその屋上で座り込んでいるヘクトルに囁いた。
「座ってもいいか、ヘクトル？」
「ど、どうぞ……もちろん……」
声がおかしかったのは、ヘクトル自身にも分かった。さっきまで涙は流れるにまかせていたし、ずっとこの風吹きすさぶ高所でうずくまっていたのだから。
用意良く敷物を持ってきたアキレスは、それを広げた。
「よかったらこっちにこないか、ヘクトル？」
アキレスは、振り向くヘクトルの腕と肩を取ってひきよせた。
「あ……」
「こんなに冷え切って……まあこれでも飲め」
そう言ってアキレスは、取った肩、からつづく腕に手をすべらせすっかり冷たくかじかんでいるヘクトルの手を包み込んだ。
「これでは……飲めない、アキレス」
アキレスが差し出した皮袋には、何か温まる飲み物が入っているのだろうが、両手をとられて、息を吹きかけられていれば、何を口にすることも出来なかった。
「おおそうか。それはすまなかったな、ヘクトル」
アキレスは大仰に驚いてみせると、ヘクトルの手を離した。自分で言っておきながら、ぬくもりが離れたことをヘクトルが物寂しく思っているのを
見透かすように、アキレスは今度はヘクトルの頬を包んだ。
「アキレス……」
「頬も冷たいな、ヘクトル」
それから。
「額もだ」
「アキレス……」
ヘクトルの額に己の額を当てて、像を結ばないほどに顔を近づけてアキレスは言った。そのまま、くちびるが重なっていった。
「あ……」
「くちびるも、息も冷たい……俺のを分けてやる」
そう言ってアキレスは、ヘクトルの吐息を染めかえようというようなくちづけを送ったのだった。
「今日はどうした？」
存分にくちづけて、勧められるままに葡萄酒を飲んで身体を温めて、涙の後はきれいにぬぐわれて、ヘクトルはアキレスの肩に頭をもたれかけ
アキレスの腕に抱えられていた。
「あんたが来ないから、来てみたら、連中が下で気を揉んでいたぞ」
「……うん……」
「どうした？」
アキレスが再度うながすと、ヘクトルも重い口を開いた。
「戦が長引いているのは、兵たちのせいだと言われた……」
「またあの神官どもにか？」
アキレスは、『また』のところに力を込めて確認した。
ヘクトルは操り人形のようにうなずいた。
「兵たちの行いが、神の御意思に沿わないからだと……」
「よしよし」
アキレスは、また涙をこぼしはじめたヘクトルの頭をぽんぽんと叩き、それからやさしく髪を撫でた。
「困ったもんだな」
「うん……」
アキレスのやさしいぬくもりにやさしい手に、ヘクトルは涙がこぼれてしかたがなかった。
どうにも神官長の言葉に首肯出来ないでいるうちに、踊っているわけでもないのにちっとも実りある結論の出ない軍議は終わり、
そのままヘクトルはとにかく誰にも会いたくなくて、１人にしてくれるようにと言い置いて、この城楼ですらない場所に、
本当の本当に１人きりになれる場所へ来てしまったのだった。
去り際のリュサンドロスをはじめとする近衛の者たちの気つかわしげげな視線すらもわずらわしかった。とにかく１人になりたかったのだ。
１人では、誰も慰めてはくれない代わりに、誰も傷つけたり、誰もどうにもならないことを改めて口にしたりはしなかったから。
「これでもがんばっているんだがな……」
ヘクトルの涙は、なかなか止まらなかった。アキレスの手がなんどもヘクトルの髪や肩にすべるので。
「ああ、ヘクトルはよくやっている。そんな益体もないことを言って、あんたをいじめる奴のほうがどうかしている」
言っていることは、ありきたりの慰めなのに、それが今のヘクトルには慈雨のように染み込んだ。染み込んだけではなく、さらに。
「いじめ！？……わたしはいじめられているのか？子供でもあるまいに……」
言いながらヘクトルはいつしか吹き出していた。
「笑うな」
「す、すまんアキレス……」
「そんな顔をすると……」
言葉ほどには、アキレスが怒ったり気分を害していないのは、そのやさしいまなざしを見ているだけで分かった。
だからヘクトルも安心してくつくつと笑うことが出来たのだった。
「またくちづけたくなる」
言うが早いか、アキレスはまだ笑いの納まらないヘクトルの肩をひきよせてくちづけた。ついでにくちびるを甘噛みしてひっぱった。
「いひゃいぞ、アキレス……」
口は抗議し、目はとろけ、腕はアキレスに回しながらヘクトルは言った。
「だから笑うな、と言ったんだ」
それからアキレスは、ヘクトルの身体を傾けて、奪うようにくちづけた。どれくらいそうしていたか、風さえも吹き込めないほど密着していたものだから、
風の寒さもあまり感じないようだった。あるいは酔っていたのかもしれなかった。葡萄酒に、互いの腕にくちづけに。
「あんたは一生懸命やっているのにな」
よしよしとまた、頭を背中を撫でながらアキレスは言った。
「それが分からない連中は、馬鹿だ」
「………」
ヘクトルは泣き笑いのような表情を浮かべた。しかし、アキレスの次の言葉にその顔を引きつらせた。
「やはり１度しっかり焼きを入れておくか……癇症な馬もそれで大人しくなるもんだ」
「アキレス、やめてくれ！……わたしのことなら、いいから……」
「ちっともよくない」
「いいんだ、アキレスがこうしてくれるから……」
「欲がないな、ヘクトルは」
アキレスはよりそうヘクトルをしっかりとつかまえながら、笑ってそう言った。
「そうか？充分に……アキレス？」
「うん？」
「アキレスはやさしいな……」
「そんなことを言うのは、あんたくらいのもんだ」
「それこそ見る目がないな。こんなにやさしいのに……どうしてアキレスはこんなにやさしくしてくれるんだ？」
「俺がやさしいんだとしたら、それはあんたがそうだからだろうさ」
「わたしが？」
「あんたを俺は正確にうつす鏡みたいなもんだ」
「鏡……？」
「偉そうな奴には偉そうに、やさしい相手にはやさしく、そういうもんだろう？」
「そうなのか？」
「そうとも、だからやっぱりひと思いに……」
「それは止めてくれ、頼むから」
ヘクトルは苦笑しながらもはっきりと断った。婉曲に言おうものなら、アキレスのことだ本当にやってしまうだろう。
「それともあんたがなだめてくれるか？」
いつの間にかヘクトルは、アキレスの持ってきた敷布の上に横たえられていた。そして、下衣の合わせからは、アキレスの手が忍び入っていた。
「うん？」
アキレスは笑いながらそう言った。
「アキレス……」
ヘクトルが、どこかうっとりとしながら困惑の息を吐いた。
「本当に、わたしがその……すれば神官長たちに何もしないでいてくれるか……？」
「ああ、あんたが俺の相手をしてくれるのなら、下にいる連中に火をつけるよりもよっぽど愉しそうだからな。――――何にも比べられん」
次ということはすっかり止めにするというわけではないのでは？それに次があるということはつまりその前もあるということで。
「それに」
アキレスはヘクトルの下肢から中心に手を伸ばしながら言った。
「それに……？」
「あんなあんぽんたんたちのろくでもない所業のことを考えているよりも、俺とこうするほうがずっといいぞ、ヘクトルにも」
ずっと、のところに力を込めて、アキレスは囁いた。ヘクトルの耳のごく近く、しゃべるくちが触れるほどしか離れずに言ったものだから、
ヘクトルは何度も固く目をつぶるはめになった。
「アキ…レ…ス……」
「あんたは耳も姿がいい……」
ヘクトルの耳たぶを銜えながらアキレスが言うものだから。
「ああ……アキレ、ス……」
いつしかヘクトルの腰は、自然とゆらめいていた。すでにその存在を明らかにしている、アキレスのかたくなりつつある楔を欲するかのように。
「あんたはどこもかしこもいい……」
囁くアキレスの声は欲に掠れていた。
「どうだヘクトル？すぐにあたたかくしてやるぞ？」
「ああ……アキレス……アキ…レ…スぅ……あ……」
ヘクトルはもう、さきほどまでの鬱屈を遠く押しやり、ただアキレスの熱を感じることに夢中だった。アキレスの手に、アキレスのくちびるに、アキレスの足に、
アキレスの――――高ぶりに。
「アキレス……アキレス……」
「ヘクトル……どうだ？」
「あああっ！」
舌でなぶり、歯の感触を味わわせ、指で抓みこねもてあそび、アキレスは囁きによってヘクトルの鼓膜をも犯しつづけた。
「どうだ、ヘクトル……こちらと、こちらのとでは？」
「あ……あ……ああ……っ」
「どちらがいい？」
「あ……ど…ちら…も……ああっ！」
「どちらもいいと？」
「いい、……いい、アキレス……い……ぁ」
「ここを……こうされるのはどうだ？」
「――――っ！！」
何度も放り投げられ、何度も地中深くまで投げ込まれるような、そんな恐怖にも似たものを、ヘクトルは甘受しつづけていた。
「ヘクトル……どうだ？」
「ああ……アキレ……あ、あ……あ……アキレス……っ」
うなずくことや、アキレスの肌指の痕がつくのではないかというほど、掴むようにして抱きしめること引き寄せること、そういったことで。
「ア…キレ……ス……あ……あぁ……っとぉ……」
「もっと？もっとどうして欲しいんだ、教えてくれ……ヘクトル？」
そう問いかけるアキレスの声も、かすれ弾みきっていた。奥まで深く抉り突き上げて欲しいとか、小刻みにゆさぶって欲しいとか、
張り詰めて痛みを覚えるような胸の突起を吸って欲しいとか、足をもっと持ち上げて撫でて欲しいとか、息も出来ないほど口づけて欲しいとか、そういったことを。
「あとは、ヘクトル？」
「あ……アキレス、に……」
まずは足りない空気を懸命に吸おうとしているヘクトルの声は息だけになってしまったので、アキレスはその口に耳を近づけた。
「――――その願い叶えた」
ヘクトルはアキレスのその言葉を聞いて、莞爾と笑った。一瞬厳かな表情になったアキレスも、すぐに搾取を受けるかのように眉根を寄せた。
伸ばしに伸ばしていた終わりだったが、さすがにその時が近づいていた。
「ヘクトル――――」
「ア、アキ……ああぁっ！」
ずっとそばにいて欲しい。アキレスに、ずっと。
――――その願い、叶えたり。
「そうむくれなさんなって」
ブラッドの差し出すマグカップの前で、エリックはソファの上で手足を丸めてまだ拗ねていた。
「だって……」
「まあこれでも飲めって、落ち着くぞ」
「……コーヒーが？」
「俺の愛のこもった、あたたかい飲み物が」
ブラッドが至極真面目にそう言ったので、そしてブラッドが、エリックが受け取らない限りマグカップをテーブルに置こうとはしなかったので、エリックも根負けしてブラッドが入れたコーヒーを受け取った。
「甘い……」
「カリカリしてるときは甘いものが１番だよハニー」
「誰が『ハニー』だよ」
そう言いつつ、エリックは笑ってしまった。１度でもほんの少しでも、笑ってしまえば拗ねや怒りは持続しない。このときのエリックもそうだった。「でも美味しい」
「そりゃ良かった」
「先生がいいから」
「生徒もいいし♪手取り足取り腰取って教わったし♪」
「なんだそれは」
それから２人して、顔を見合わせて笑った。せまいトレーラーハウスに充満していたエリックの拗ねが、その笑い声で吹き飛んだようだった。
「まったくもう、人の苦労も知らないでさ」
「ひどいよなぁ、まったく」
うんうんひどいひどい、とブラッドは腕組みしてうなずいた。とっくに空にしたマグカップを、片手で持ったままで。
「危ないよ、ブラッド」
「カラだから大丈夫」
「でもテーブルに置いて。ぶつけでもしたらどうするの」
エリックをエスコートするのも好きだが、こうして甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも大好きなブラッドは、とても嬉しそうに笑った。「ミニスカートがダメだなんて言ったらスッコトランド人に蹴とばされるぜ」
改めまして話の続き。ついでにおかわりも持ってきた。
「あれスカートじゃないし。こっちだって好き好んで剃ってるわけじゃないのにさぁ……」
「自分がミニ似合わないから妬いてるのさ」
「そういう問題？」
「そういう問題。偉そうに見に来といて、聞かれもしないのにべらべらコメント捲くし立てて、あまつさえ俺のエリックの苦労を踏みにじるなんて許すまじ！」
ブラッドは拳を振り上げた。
「もしかしてブラッド……怒ってる？」
「これが怒らいでか」
「ありがとう……もういいよ？」
「エリックがよくても、俺がよくない」
「いやでも衣装がミニスカートなんだから、髪も髭も黒いんだから剃らないとそりゃすごいことになっちゃうに決まってるし、仕方ないよ」
「俺はどっちもいいと思うんだけどなぁ……」
ブラッドの正直な感想を、エリックはさくっとスルーした。「ギリシャの人たちって臑毛なかったのかなぁ……そんなわけないかでも薄かったとか目立たなかったとか……でも黒髪の種族もあるしなぁ。やっぱりそういうもんだと思ってたのかな？」
考えを口にしながら、飲みやすい温度になったコーヒーを流し込んだエリックだった。
「俺は！どっちもＯＫなんだけどな！」
「うわっ！」
自分の言葉がスルーされたので、ブラッドは実力行使に出た。エリックの両足を抱えて、頭上高く上げてしまったのだった。
「ブラッド、落ち、る……」
足を持ち上げられて、ずずずっと背がすべった。
「落とさないから大丈夫♪」
ブラッドは、エリックの足首にキスすると、そのままズボンを下ろせるだけ下ろしてしまった。部屋着だったのでゆったりしていたエリックのズボンは、膝近くまで下ろされて、臑がすっかりむき出しになった。
「何するんだよ、ブラッド」
「臑にキス」
その通り、ブラッドはしっかり抱えたエリックの臑にキスをした。「そういうことを聞いているんじゃなくて……」
「それから撫でる」
さわさわさわと撫でられると、エリックの背中を何かが駆け抜けた。
「やめ、ろよ、そんなとこ……おもしろくもないだろ…うに……」
「そんなことないよ。剃った痕の手触りって面白い」
「このへんた、い……」
またくちびるを寄せたブラッドが、今度は見えるように舌を出して舐め始めるに及んで、エリックは腕で目元を覆った。
「かくさないで」
すぐにブラッドに腕をはずされて、赤らんだ目元を顔をさらすことになったけれども。
「こっちも……ど？」
「……どこ触って、るん、だっ！」
「どこって……そりゃ……うん……」
いつの間にかブラッドの手の動きはすっかり、撫でさするものではなく、こね抓むものになっていた。
「ブラッ……ドぉ……」
「うん、臑もいいけど」
かちゃかちゃと、フロントを開ける音が、いやに耳についた。エリックは耳も塞ぎたくなった。「ここもいいよな、やっぱ」
「ばか……ブラッドの、……」
「そゆこと言うと、いぢめちゃうぞ♪」
ブラッドは飛び出しそうになっていたエリックを、ぱっくりと口にした。
「うま」
「……んなわけ……あ、る、か……」
「信じないのね、ヒドイ！」
そう言いながらも、ちろちろと舐める動きは止まらなくて。
「あ……あ……ブラッド……」
「うーんやっぱりミニスカートよりも、その中身がいいなぁ、好きだなぁ」
「あ……あ……っ」
「もちろんエリックが１番好きだけど♪」
エリックの手はすっかり、ブラッドの頭を押付けるようになっていた。そして、つい力が入ってしまったりもして。
「痛っ」
「あ……ごめ……」
「いいってことよ」
ブラッドは伸び上がって、まずエリックの手、それから口元目元にキスをした。「つづけてもいい、エリック？」
「あ……」
「この先のほうを……ここを……」
ブラッドの手が、エリックの奥をつついた。
「は…ぁ……」
「エリック？」
エリックはこっくりとうなずくとブラッドの指にキスをした。
それから、その指を、自分のひくつきはじめた場所まで持っていって――――。
「して……ブラッド……ここ、に……」
そして。
「……やなこと忘れさせて」
ゆっくりとエリックも、ブラッドの服を剥ぎはじめた。「……了解」
ブラッドはちゅっと軽いキスをすると、エリックの中に入る準備を整え始めた。それは、いつまでたっても、ちょっと恥ずかしかったし、少しいたたまれなかったし、ものすごく胸も身体もうずくようなことだったけれど。
「あ……ごめ……」
「いいって、ことよ……」
うずくような胸の痛みにもまして、このひとときが得難いものだったから。
「ブラッドォ……」
「う…、エリックすご……」
精一杯このときを。
「ああ、あっ……！」
「エリック……！」
味わいつくし、しつこいくらいに、どちらもとことんまで堪能して。
きっとずっと。
膝を抱えてすんすんやることもあるかと。
ヘクトルもエリックも溜め込みそうだしなぁ。
アキレス、ブラッド、うまいことガス抜きしてあげてよね！
あなたたちにしか出来ないんだから！
ヘクトルとエリックが、アキレスとブラッドじゃなきゃやだってんだから！（笑）
慰めたりはがましたりしてくれる人がいるなら
ちょっとは踏ん張れるんじゃないかと思うんです。