「ハイ、マギー」
「あら、久しぶりねブラッド。元気そうでなによりだわ」
受付を担当して早幾年のキャリアを誇るマギーは今日も忙しく手元を動かしていた。
彼女の編んだものはたいてい家族や友人、友人の家族へふるまわれていた。受付業務といってもインフォメーションではないので、
彼女は手持ち無沙汰な時間を手芸に費やすことを許されていた。一度だけ、彼女のボスが苦言を吐いたことがあったが、
彼女手製の腹巻きで胃腸の調子がよくなってからは何も言わなくなったともっぱらの評判だった。もちろんブラッドも長いつきあいの間
何回かプレゼントされたことがあり、結婚を告げたときなどは彼女にいつかこんな日が来ると思っていたのよ、
と見事なレース編みのテーブルセンターを贈ってもらったのだった。
「おかげさまで。マギーも元気そうでなにより」
ブラッドに声をかけられるまで彼女が編んでいたのは子供用とおぼしきケープだった。
根が生えているんじゃないかというほど一体化したイスから立ち上がってブラッドと挨拶のキスをかわすと、
肉親の伯母のような笑み浮かべてエリックを見た。
「はじめまして、マギーよ」
「はじめまして、マギー。エリックです」
握手して、それからエリックもブラッドにならって抱擁をかわした。
「まあブラッド、この人があなたのお相手なのね。それで、とうとうなの？」
「とうとうって？」
握手後にまた座って手を動かし始めた彼女の編んでいるのは近所に住む赤ん坊のためのものだということだった。
「貧乏人の子だくさんでね、近所のものが気をつけてけりゃあそこの子に新しい服なんてのぞめやしませんよ」
そう言っている彼女こそが『近所のもの』で、彼女が気にしてやらなければ、ろくに着る物もない赤ん坊になってしまうんだということを、
ブラッドに耳打ちされて知った。そのあとの言葉を聞いて、頭どころか肩が落ちた。
「子供が出来たんでしょ？その報告に来たんでしょう？」
「……マギー」
つきあいの長さゆえか、ブラッドのほうが先に立ち直った。
エリック同様、盛大にコケてはいたか。
「……いったいどこからそんなお茶目な発想が……」
「あらだって、結婚引退した人たちが、オフィスに顔を出す理由はひとつでしょ？まさか復帰のために来たんじゃないでしょ？」
「……どっちもノーだよまったく……」
コケたままではいられない、ヨロヨロしながらもブラッドは立ち上がった。
「違うよ、マギー、あいにくだけど。……俺は、子供の産めない身体なんだ……」
「まあブラッド、でも気に病むことはないわ、いつかきっとコウノトリが……」
「あのお……」
放っておくといつまでも続きそうなコメディを聞いていたいいのは山々だったが、エリックは自分の精神の安定のためにも声をかけた。
「なに、エリック」
「あらあらごめんなさいね、エリック」
「ぼちぼちボスに会いに行く、っていうのはどうだろうか、ブラッド……」
おずおずとそう言うと、マギーは一通の封筒を取り出した。
「そのボスからメッセージを預かっているわ」
「サンキュ、マギー」
ブラッドがメッセージカード用のようなその小さな封筒を開いてみている間、マギーはこっそりエリックに囁いた。
「車で来たんでしょう？ドライブはどうだった？」
「……快適でしたが」
質問の意図がつかめずエリックは不思議そうな顔をしてそう言った。
「そう？ならいいんだけど……」
歯切れの悪いマギーの言葉を待つまでもなく、本当にカードだった手紙を読んでブラッドの眦はつりあがった。
「ふざけやがって……」
「ブラッド？」
「マギー、あのクソあほんだらは上だな？」
そう言ってブラッドは目の前にあるエレベーターのボタンを押した。
「ええ、そうよ。あなたたちのことを首を長くして待ってるはずよ」
怒り心頭といった様子のブラッドに、処置なしと肩をすくめてマギーは答えた。
「ブラッド？」
「行こう、エリック……この茶番を仕掛けた奴らにきっちり話をつけないと……」
「ブラッド、ブラッド」
引っ張られながらもエリックは言った。
「あなたたちの車も狙われていたのよ、知ってた？」
「なんだと？」
「運転中に妨害を受けなかった？」
「やたら爆竹を鳴らしてる奴がいるなとは思ったが」
「それどころじゃなかったから」
「防弾になってるもんな、ウチの車」
「う、うん」
真剣に怒るブラッドと、そのときのことを思い出して頬を赤らめるエリックだった。
賢明かつ察しのいいことに、マギーはそれどころじゃなかった内容については触れなかった。
「エリックがいきなり濃厚なキスしかけたりするから」
「ブラッドだって腰撫でてたろ！」
「しかたないだろ撫でたかったんだから！」
「運転中にあんなにすることないだろうっ」
「手触りがよかったんだ！」
「だからって……」
「指突っ込むのは我慢したんだぞ……」
「でも、でも……」
しかし、情報のほうからやってきてしまえばいかんともしがたかった。知らんふりして編み物をつづけたが。
放っておくとよりそって謝りあって、指で互いの顔をつついたりなんかして、しまいには腰や背に手が回ったりしてさらには密着するのが目に見えた頃に
エレベーターの到着音が鳴った。
その音で我に返った２人は、とにかく初志を貫徹しようとエレベーターに足を踏み入れた。
「それじゃ、マギー」
「おさわがせしました」
ひらひらと手を振るブラッドと、会釈するエリックに目を向けて、マギーは一言。
「グッドラック」
「なんて書いてあったんだ、ブラッド？」
ゆっくりと昇っていくエレベーターのかすかな振動に身を任せながらエリックはあらためて尋ねた。
「『来れるもんなら来てみろ』だとさ」
「それはまた……」
「あいつらしい言い草だ」
引退前のブラッドとボスは、まさに犬猿の仲で、ことあるごとに歯をむき出しにするようないがみあいをしていて、衆目の中
とっくみあい寸前までいったこともあるのだという話は聞いていた。しかしエリックは自分とボスとの穏やかな関係を鑑みると、
どうもそういう上下関係が、見当もつかないのだった。
「エリックのとことは違うんだよ、ウチは。あのデバラの自己顕示欲むき出しの欲惚け爺と来た日にはもう……」
『誰がデバラの欲惚けかっ！？』
エレベーターのスピーカーを通じてその声は割り込んできた。その声が割り込むのが合図だったように、エレベーターはがくんと停止した。
「……ついでに趣味も根性も悪い。人の会話に平気で割り込んだりする奴なんだ」
あ、顔も悪かったか、それから性格と気立てと……と放っておけば指折り数えそうなブラッドだった。
（せっかくエリックと２人きりだったのに）
外野に聞こえないようにエリックの耳元でそう呟いてブラッドは、エリックの下ろされた手指をちょいと握った。
（ブラッド……ちゃんと相手をしないと……）
『なにをひそひそやっておるか！いいか！わしのいる階に来たければ、自力で上がって来るがいい！ただし！！』
「じゃ帰ろっか、エリック」
「ブラッド……」
『何を言っておる！帰さんぞ！！』
「出て行く方法なんていくらでもある。とめられるもんならとめてみな」
本当に帰るのか？とブラッドに目配せすると、防犯用のカメラの死角からウィンクが返ってきた。
「さてじゃあ、天井でも壊すか」
『待て待て待て！』
スピーカーから待ったの声がかかった。かなり必死の様子だった。過去に何かあったのかもしれなかった。
『仕方がない。またエレベーターを壊されてはかなわんからな』
やはり何かあったようだった。
止まっていたエレベーターがふたたび動き出した。
しかしブラッドが階数を示す数の、ほんの少し先を押したため、通常業務に戻ったエレベーターはちん、という軽妙な音とともに停止した。
するすると開いていく扉の向こうには無人のエレベーターホールがあった。
「降りよう、エリック」
ブラッドが手を差し伸べてそう言った。
「階段を使おう」
防犯カメラに向かってあっかんべーをしてみせるとブラッドは、エリックの手をとってフロアに降り立った。
「最初っからそのほうが良かったんだ」
そうしたら、あのあほんだらの声も聞かずに済んだんだから、と笑った。
「そうだな。階段はどっちだ？」
２人はスピーカーからの声を無視して、無人のフロアを横切って階段に向かっていったのだった。
「え？エレベーターを降りた？」
「そう、１７階で」
「うわ〜やっぱり！」
「だから言ったんだよなぁ、あいつのことだからきっと、怒ってエレベーター降りると思います、って」
「誰だってそう思うわよねぇ？」
「うんうん、まったく」
「だったら下のフロアで待ってれば良かったわね」
「そうだよな、そうしたら、『いたるところにひそむ刺客！果たして２人は無事にたどり着けるのか！？』って感じになったよな」
「そのほうが面白かったのに〜」
「ちくしょう、絶対にこいつを無駄にはさせないぜ！」
「今のうちに下のフロアに下りる？」
「でもそれですれ違ったりしたら……」
「そうよね、間抜けよね」
「しかもこれが無駄になるんだぜせっかく用意したのに！」
「それじゃあ……」
「ああ、仕方ないここで待つか」
「それしかないわね、悔しいけど」
「早く来ないかなぁ」
「これをお見舞いするのが楽しみよね」
「腕が鳴るぜ！」
その場に居合わせた者は全員、己が手の中にある、つややかな光を放つものを、固くかたく握りしめたのだった。
「やっぱりこれが終わったら休暇をとろうぜ、少しのんびりしたい」
「そうだな、クリスマス休暇の頃なんかもなんだかバタバタしてて、あんまりゆっくり出来なかったものな」
「だろ？せっかくエリックと……より深い仲になれたんだし」
性懲りもなくそう言うブラッドに、性懲りもなくエリックも赤くなった。
「大丈夫か？」
「何が？このくらいいつもオフィスに行くのにのぼってるから」
大丈夫、と言おうとしてピンときた。ブラッドは階段のぼりのことを言っているのではないと。
「……大丈夫だよ」
「そうか？このあとも展開しだいじゃ荒っぽくなるだろうし、無理すんなよ」
「心づかいはありがたいけど、ブラッドはわたしがどんな状態になっていると思っているのかな？」
参考までに聞かせて欲しい、とエリックが言うものだから、ブラッドも階段の途中で立ち止まった。
「そりゃ……本来一方通行の場所を両面通行にして史上初っていうくらい酷使したんだからひりひりするとか、違和感があって歩くのもままならないとかそういう感じ？」
「……その知識はどこから……」
はきはき答えるブラッドに、エリックはちょっとめまいを覚えた。
「ものの本、と聞き取り調査」
誰にいったい……と思うとますますクラクラしたが、エリックは踏みとどまった。平地でもめまいは危険なのに、階段でよろめいたりしたらさらに危険だった。
「……本当に大丈夫だから、ちょっとまだ、その…入ってるみたいな感じはするけど、ぼわんとするけど、歩くのにも支障はないし……」
「座るのにも？」
「見てただろ？無理しているように見えたか？」
「いや、そうは見えなかったけど。ものすごーく気をつけてはいるようだったけども」
「だろ？心配性だなブラッドは」
エリックは伸び上がって、２段上に立つブラッドにキスをした。笑いながら。
「そりゃ他でもない、エリックのことだから」
ブラッドもかがみこんでエリックの背中に手を回した。
「それに……」
「それに？」
「ブラッド、すごくその……丁寧に用意してくれたし……」
うつむいてそう言うエリックの顔はきっと赤いのだろう。見えなくても雰囲気が赤かった。
「そりゃあもう、大事なエリックのためだもの！」
ブラッドはエリックの腰に腕を回すと思い切り振り回した。エリックがわっ、と思う間もない早業だった。
そのままぐるりと身体を反転させると、踊り場にエリックをちょん、と立たせた。
「エリック、愛してる」
「わたしも……愛してる、ブラッド」
エリックの返事に、ブラッドは嬉しそうに笑うとそのままぎゅーっと抱きしめた。
「はやいとこ片付けよっか」
「そうだな」
目線の下になったブラッドの額にキスをして、そうして２人は最後のステップをのぼったのだった。
防火のためなのか防災のためなのか、このビルの中階段は実にのぼりにくく出来ていた。
ずっとひとつところでつづいていないのだった。だからフロアを縦断したりわきにちょっとそれたりをくり返しながらようやく最上階のゴール、
防火扉のようなごつい鋼のドアの前にたどりついたのだった。いまさら騒いでもしようがなかったがもちろん用心に用心を重ねた。
あふれるほどの人の気配のある扉の向こうに何が待っているかは分からなかったが、２人とも家から持ってきた武器を装備して、取っ手をつかんだブラッドとエリックは
目交ぜしてうなづきあった。ガーン、と大きな音を立て一瞬で様子をうかがうと扉の向こうへ飛び込んだ。人の姿はなかった。
しかしこの扉に意識を向けている者がいるのは確かだった。ぬかりなく周囲を見渡して、武器を構えた。すると――――。
「おめでとう！」
「うまくやったなこの野郎！！」
「結婚オメデトウ！」
「おめでとう、ブラッド！」
「お相手さんもおめでとう！」
「やりやがったな、こんちくしょう！！」
パンパンパン！と乾いた音があたりに響いた。そしてその音をかき消すほどの勢いで祝いの言葉が雨あられと降り注いだのだった。
「え……」
「おまえら……」
音とともに降り注いだのはそれだけではなかった。細い紙のリボンや、ふわふわとした細長いものも降ってきた。
乾いた音の正体は、クラッカーだった。それとふわふわの出るスプレーと。
ブラッドとエリックは、呆然と雨粒のかわりにそれを浴びていた。
「やったやった！」
「大成功ね！」
「いやーすっとしたよ」
「おめでとう、やったな！」
姿を現したのは、いかにもオフィスで事務仕事をバリバリこなしています、といった格好の男女だった。
「もしかして……？」
「全員ここに……？」
本来なら下のフロアで仕事をしていてもおかしくないこの人たちの姿がまったく見えなかったのはもしかしたら。
「このために……？」
おそるおそるブラッドが聞くとあっさりと答えが返ってきた。
「もちろん！」
もちろんと来ましたか、と今度はブラッドのほうがめまいがしそうになった。
「おまえと着たら、『結婚するからやめます』の一言で挨拶もなしなんだから」
「そうよぉ、結婚退職するのなら、ちゃんとお相手を披露して辞めていくのが筋って言うもんでしょ？」
「こんな商売してて筋もへったくれも……」
「いやーブラッドをよろしく！って俺が言うのもへんだけど」
「これ、遅くなったけどみんなからのお祝いなの。使ってくれると嬉しいわ」
「みんなで作ったんだ、ジョンとジェーンの服！」
「結婚のお祝いだから、ウェデングドレスとタキシードにしたの」
あ、こらエリックに触るな！とか、大きな紙包みを渡されてエリックがあっぷあっぷあしているとか、
とにかく握手とお祝いぜめで、２人は身動きが取れなかった。
「そろそろいいかしら？」
この最上階には、中二階になっているテラスがあった。
そこへつづいている階段を、１人の女がいとも優雅な足取りで下りてきた。
「はい。お時間をいただき、ありがとうございました」
最高級のホテルかレストランのような光景だった。居合わせた面々がすべて膝を折らんばかりにして礼を取ったのだ。
「いいのよ。しっかりと祝っておやりなさい」
「はい」
ひれ伏す面々に臆することもなく女は微笑んだ。色の変わりはじめたゆたかな髪をゆるく結って、薄絹のドレスの衣擦れの音をさせながら、
ブラッドたちと同じ高さに下りてくると、祝いを口にしていた人々は、潮が引くようにさがっていった。
「久しぶりね」
「……やっぱりあなたが黒幕ですか」
女は脱力するブラッドの前で立ち止まると、手を掲げた。手にキスをするのは理の当然というように。
そしてブラッドもうやうやしくその手をとって、くちづけたのだった。
「ブラッド……？」
その女性についてはエリックも見覚えがあった。しかし確信はなかったので、その見覚えの大元であるブラッドに尋ねたのだった。
「ごめん、エリック、俺のほうだわ」
そう言いながらブラッドは、エリックのほうに向きなおってその手にキスをした。
さらに抱き寄せ頬に。
「ブ、ブラッド？」
「エリックが拗ねないように」
「拗ねないからっ」
だから離して！とじたばたするエリックに、さらにキスしようとにじりよっていると。
「お茶の仕度が出来ているわ。こちらへどうぞ、お２人さん」
目元の皺もチャームポイントにしてしまっている女は、にっこり笑ってそう言ったのだった。
「……まったく……いつこっちに来てたんです？」
「つい先日よ。あなたったら『結婚しました』って連絡をして、それっきりなんですもの」
女はとてもきれいな動作でお茶を入れた。
女性の招待に見当がつかないわけでもないエリックは恐縮して白いカップを受け取った。
「肝心のお相手も紹介してくれないなんて、ひどい息子よね」
さすが親子、ウィンクの仕方が同じだ……とエリックは思った。写真でしか見たことのない女性、ブラッドの母親は自分の分のカップを持って嫣然と笑った。
ブラッドとエリックの案内された陽光降り注ぐソファには他に、憮然としてどこか居心地悪そうなブラッドの元ボスと、
こちらは我関せずとゆったりお茶を楽しんでいるエリックの元ボスもいた。
「そしたらまあ、あなったたらこちらの人たちにもきちんと挨拶してないというじゃない」
「……挨拶はしましたよ」
「こちらと一緒に？」
「……１人でですけど」
ブラッドの母テティスは額に手を当てて、オールドムービーの女優のように頭を振って嘆いてみせた。
「わたしたちにも連絡ひとつよこさないし、まったくもう」
美しくため息をつかれて、黙っていられたらそれはエリックではないわけで。
「あの……すみません、ご挨拶が遅くなってしまって……わたしはあの……」
あわてるあまり立ち上がろうとするエリックを制してブラッドがきっぱり言った。
「夫婦で船の世界一周旅行してるのに、どうやって挨拶に行けと？しかも西海岸まで？」
「あらだって、もう帰ってきているんですもの」
「いつこっちに来たんです？」
「一昨日よ」
「船から下りたのは？」
「さきおととい」
「それでどうやって連絡しろと――――！！」
「ブラッド、ブラッド、落ち着いて」
今度はブラッドのほうが立ち上がりそうになって、エリックにいさめられていた。
「だからまず、こちらに来てみたのよ」
「どうして息子のところに直接来ないんだ……」
頭を抱えるブラッドの肩に、エリックはそっと手を置いた。
「そしたらこちらも、あなたたちに是非カムバックして欲しいということだったのよ」
「カムバック？しませんよ」
明日から太陽は北から昇ることにしたらしいよ、と言われたかのような返答だった。
「なぁブラッド」
「ああ、俺たちは結婚を機にこの仕事はやめたんだから」
顔を見合わせて、何を当たり前のことをと確認しあう２人だった。
「しかし、エリックほどのナイフ使いはおらんし」
「おまえほど爆発物の扱いに長けているものもおらんのだ」
それまで黙って座っていたボスたちも、ここぞとばかりに言い立てた。
「過去のことだ」
「ブランクありますし、いまさら復帰なんて無理ですよ」
それでその装備？とボスたちの目が言っていた。無理もない、お茶に招待されたからと少しは片付けたものの、２人ともまだ、
一個中隊くらい余裕で相手が出来そうな装備なのだ。
「こんなのに一枚噛ませないでくださいよまったく……変な奴まで来るし」
「あら、そんなに変だったの？」
「……まさか」
ブラッドが嫌な顔をしてすましている母親を見た。
「旅の途中で見つけたのよ。港をまるで、海に落ちたそうに歩いているところをね。話を聞いてみたらまぁ、こちらの弟さんだっていうじゃない？」
「元結婚相手の弟です」
ブラッドがすかさず訂正した。
「かなりのきているみたいだったし、ショーンに聞いてみたら、あなたも相当だと言うことだったし」
ブラッドの中にショーンに対する明確な殺意が芽生えた。ブラッドの怒りに震える手を、エリックが握りしめなかったら本当に実行に移してしまったかもしれなかった。
エリックに触れられてクールダウンしたブラッドは、深く息をすると話を続けた。
「ここはやっぱり親として、一肌脱ぐべきだと思ったのよ」
「だからって変なのを寄越さないでください……」
「あらだって、会いたかったんでしょう？」
これはエリックに。エリックはそこまでお見通しなことに、あまり疑問は抱かなかった。ショーンとも情報をやりとりしているのならきっと、
パトロクロスからもきっと話を聞いているに違いなかった。「はい……ご尽力、ありがとうございました」たとえ慮外な結果に終わろうと、会いたかった。残念ながら義弟とは、道が違ってしまったようだったが。
「彼のことなら大丈夫。今はちょっと暗示にかかっているだけだから、落ち着けばあの素っ頓狂さはおさまる……はずよ」
その間はなんですか！？と聞きたいところだったが、ブラッドはぐっと耐えた。
「いずれまた現れることもあるかもしれないけれど、あなたたちなら、大丈夫ね？」
ブラッドの母はこういう人だった。表でも裏でも、女神のように君臨していて、とても厳しくそしてやさしい。クリア出来ると見込んだものにでなければ
試練をもたらしたりはしないのだった。
ブラッドの母であるということは、自分にとっても義母にあたるわけだが、そうでなくても彼女からは母や女性というものが持つという
包容力が感じられた。もうずっと前になくしてしまったものが。
エリックがもう一度頭を下げるのをやさしい目で見ていたブラッドが言った。
「それで、今日はうちに？」
その問いに、テティスは首を振った。
「今日のところはやめておくわ。彼が夕食を作って待っていてくれるから」
「親父は留守番？」
「ええ、家のことははお願いしてきたの」
「………」
エリックが何か言いかけてやめたことに気づいたブラッドが、うながすようにエリックをつっついた。
「あの……今度是非、遊びに来てください」
ブラッドもテティスも、エリックのその言葉に、いつくしみに満ちた笑みを浮かべた。
「ええ、是非よせさせていただくわ。あなたたちも是非、わたしたちの住まいに来てちょうだいね」
ブラッドの母はそう言うと、飛行機の時間があるからと立ち上がった。
ブラッドたちが送っていくというのを断って、おつきよろしくボスたちをしたがえて。
「……緊張した、な」
今度は普通にエレベーターで降りる、マギーに挨拶をして２人は車に向かって歩いた。
ビルから出るとエリックは、身体中の息を吐き出す如く大きく息をついた。
「お疲れさん」
ブラッドはそんなエリックの頭をぽんぽんと撫でた。よく出来ましたと言うように。
「腹減ったな、何か食ってくか？」
あのあほんだらのことは、パトロクロスたちがちゃんとしていてくれるだろうし、と車に乗り込みながらブラッドがそう言うと。
「う……ん、それより、うちで食べたい、な」
少し考えてから、エリックはそう言った。
「そうだな、うちで食べようか」
ブラッドの言葉は、大きく唸るエンジン音でも聞き違えようがなかった。
「うん、それがいい。――――エリックと一緒がいい」
そう言ってブラッドは、エリックの頭を抱え寄せるとキスをした。
「何か作るよ。ブラッドは何が食べたい？」
「エリック」
「……食べたらなくなるぞ」
「いやいやそんなことはない。食べるたびに美味しくなっていくという珍味でもあってだな……」
「何言ってるんだ」
「ホントだぞ？」
「バカ……」
どうさがしたらいいんだろう？愛がどこにあるのかなんて。
さがすまでもない、愛はいつでもあるから。
「……っ……っ」
エリックは弾んだ息で激しく胸が上下していた。
「エリッ…ク……」
うるみきった目をしてエリックの名前を呟いたブラッドは、こらえかねたようにエリックの上に倒れこんだ。
「ブラッド……」
心地よい重みを受け止めながら目を閉じて、ブラッドの汗ばんだ背に手を回した。
「あぁ……、さいこ………エリック最高、………」
それはブラッドの口癖だった。いつでも最高なの？と聞いたら、もちろん！と真面目な顔して言われたのだった。
ブラッドにとって、エリックとのセックスはいつでも最高だった。
エリックとの暮らしエリックとの会話エリックとの接触、何もかもすべてが最高だった。
「うん、……うん、すごく、よかった……」
思い出せば今にもまた達ってしまいそうだった。それくらいいつも、めくるめく体験をしているようだった。
どうしてこんなにいいのか分からなかったが、言葉に出来ないほどに悦いことだけは確かだった。
「ブラッ、ド……」
ブラッドはエリックの身体を名残惜しげにまさぐっていたし、エリックもブラッドの身体をたどっていた。
溶け合うかと思うような瞬間もよかったが、こうして別の身体に分かれたものに触れているのもたまらないよさだった。
「う…ん……？」
エリックの胸に顔をうずめていたブラッドは、横に屹立するエリックの胸の飾りに気がつくと指でこちょこちょといたずらをはじめていた。
その感触に眉をしかめまた身体の中心に熱が集まっていくのを感じながら、エリックは続けた。
「あ……まだ言ったことはなかったと思うんだ、けど……っ」
ブラッドの手がきざし始めたものに伸ばされたときだけ、エリックは息をのんだ。負けじとブラッドのものが当たっている足を動かしながら。
「う、ん……」
エリックのその動きに、ブラッドは呻きともつかない声をもらした。
「聞いて驚いてほしいんだけど……」
「うん……？」
「ブラッドのこと愛してるからかな…ぁ……ブラッドとのセックスが…すごく…いいんだ……あっ」
「……驚いて心臓止まった」
本当に心臓に手を当てながらブラッドは言った。
「あ………っ」
「どうしてくれる、エリック……もう、コレはいいし」
「あ…うっ」
「かわいいし……」
「あ、あ……ブラッ、……どこ……つまんで……あ、あぁっ……」
「もう、愛しくてたまらないよ、エリック……」
「ブラッド、ブラッド……や…ダメ、そんな……あ……っ…」
エリックの身体がまた、悩ましくも艶めかしく舞いはじめた。ブラッドの指と手と、それからくちびるそれから全身によって奏でる楽の音によって。
「ここはダメ？……それならこっちは……？」
「そ、んな……ああ……ブラッド、ぉ……」
「エリック……」
生涯最大の秘密を告白しあった２人は、その夜も安心して抱きしめあうのだった。
「ブラッド、ブラッ…ド……あっ……」
「エリック、俺の………エリック…」
玄関ホールでは、万年新婚姿の睦まじいジョンとジェーンが、手をつなぎながら笑っていた。
ハイ！私流スミス夫妻、これにて全巻の終わりにございます〜。
おめでとうお２人さん！おしあわせに！！
いやーもう長くなっちゃって！
だからこれをＷｅｂ拍手ありがとう小話でやろうなんて
無謀の極みだっての！！（笑）
無事に終わってホッとしました〜。
連載ものはやるのに覚悟がいるのデス。
ちゃんと終わらせられなかったらどうしようと思うと。
終わった終わった、あー良かった！実はこれは、本当はいけないんですけど
漠然とした終わり以外は決めないままに
その時その時で考えながら書いていたので、
あまりにも大きな齟齬の見落としがないことを祈ります。
どこが分からないかとかは書いてるほうは分からないから。前話のあとがきでやりたいと言っていたバレンタインネタは
この話にはしっくりこなかったのでやめときました。
やっぱりラス襟でやろうかな？
考えているうちにラス襟っぽくなってきたので。