「うん？……雨……？」
窓の外から聞こえる水音は、まぎれもなく。
「アキレス……？どうした？」
アキレスの呟きに、ヘクトルも目を覚ましたようだった。まだ少し寝ぼけ眼なのは、ヘクトルがずいぶんここでの暮らしになれてゆったりするようになったことと、今日を楽しみにするアキレス同様、昨夜なかなか寝付けなかったせいだった。
「おはよう、ヘクトル」
それまで寝台の上に座って、窓を睨んで耳を済ませていたアキレスが、ヘクトルの動きと声に相好を崩して朝の挨拶をした。
「おはよう、ヘクトル。……雨のようだぞ」
そう言って、横になっているヘクトルに覆い被さってかるくくちづけた。
くちづけと迎え入れるべく、ヘクトルは腕を伸ばしてアキレスの頭に背にまわした。
「おはよう、アキレス。雨？……なのか……」
アキレスと挨拶とくちづけをかわしながらも、ヘクトルも雨音を耳にして、眉を曇らせた。
晴れたら遠乗りに行こうと約束していたのだった。アキレスは新しい馬具を試してみるのを楽しみにしていて、もちろんヘクトルと一緒なことも何よりも楽しみにしていて。「くそ……っ」
髪をかきあげて悔しがるアキレスに、ヘクトルは微笑みかけた。
「雨も降らねば困ってしまうが」
起きだすと、今度はくさるアキレスの頬にくちづけた。
「降ったら降ったで困ってしまうな」
「ああ……」
間近にヘクトルにがいて、ヘクトルが自分をあやすように微笑みかけていて、ヘクトルが自分の首に腕を回していて、ヘクトルの吐息が触れるほどの近くにいて、それだけでも充分すぎるほどに幸せだというのに、それ以上を望んでしまうのは、雨も必要なのに晴天を望んでしまうようなものだった。どちらも大切で、どちらも必要なのに。
「今日は１日ここで過ごそうか？」
「え？」
ヘクトルの提案に、アキレスは胸がとどろくのを感じた。ヘクトルが自分を閨事に誘っているのだろうかと内心あたふたしながら。
「花を飾って、食事は籠に詰めてもらって、布を敷いた上でそれを食べて」
遠乗りに、行ったつもりでと笑って言ったヘクトルは、アキレスの考えに気づいているのかいないのか。「……そ、っか……それもいいな」
でもちょっと、アキレスが拍子抜けしたのは確かなことだった。
「アキレスはどこへ行くつもりだったんだ？」
窓の方を眺めながら、ヘクトルは言った。厚い布をかけてある、その隙間からはまだ、外の明りも届かないほどの早い時間だった。
「どこでも……気の向いたところに……」
「それもいいな。気ままな散策だな」
ヘクトルがあんまり楽しそうにきれいに笑うものだから。
「まだ見ていないところがたくさんあるだろう？ちょっと遠いところにも、いい場所はたくさんあるんだ」
アキレスは勢い込んでそう言った。するとヘクトルは、ますます笑みを深くした。
「そうか。それは楽しみだな。もちろん今度アキレスが連れて行ってくれるのだろう？」
「……もちろんだ！」
勢い込んで言うアキレスに、ヘクトルはにっこりと笑って言った。
「昨夜はなかなか寝付けなかったので、少し眠いな。まだ大分早いようだし、かるく寝ておかないか？」
そう言ってヘクトルは、本当に眠いのだろうあくびひとつして横になった。こいこい、とアキレスを手招きして。
もちろんアキレスも、素直に招待されたのだった。
「雨やんだね〜、今からでも遠乗りに行く…の……」
「どうされました、パトロクロス様？」
「しーっ」
「おやおや」
日が中天を過ぎる頃、雨は上がってそれまでの天気が嘘のような晴天に変わった。
それでアキレスとヘクトルはどうしたかな、とパトロクロスが遊びに来てみると。
「寝かせとこうか、エウドロス」
「そうですね、パトロクロス様」
「向こうでおひるもらおっと。いい匂いさせていたら、起きだしてくるかも」
「左様ですね、パトロクロス様」
くーかくーか寝ているアキレスとヘクトルは、今頃どんな夢を見ていることやら。
手を握ってしっかりとよりそって。