夜中に玄関のノッカーがほとほと鳴らされた。
それはさすがのブラッドもいい加減にやすもうかなと思う頃合だった。
じきに夜も明けようかという頃合で、娼婦連続殺人犯も特定できたし、だからといってヤードの巡査を繰り出して捕り物をするわけにもいかない相手だったので、これは上のほうへ掛け合いに行かねばなるまいな、と考えていた。薬も酒もなしの健全な風呂に入って、たまにはその辺やソファじゃなくて、ベッドで寝るかと思ったときのことだった。
「どちらさま？」
「……エリック、です」
その声を聞くや否やブラッドはすごい勢いで玄関の扉をあけた。早く開けないと声の主が、煙のように消えてしまうのではないかというように。あまりのその剣幕に、ドアの前のエリックのほうが目をぱちくりさせていた。
「あ、あの、こんな時間にすまない、ブラッド。いつでもいいと言ってもらっていたからって……」
「構わないよ、エリック」
いいざまブラッドは、目にもとまらぬ早業でエリックを家の中に入れると、扉を閉めて厳重に鍵をかけた。
「別につけられてはいなかったよ」
「そうじゃないんだけど……まあいい。どうぞこちらへ。そういえば、初めてじゃないか？エリックが来てくれたのは」
まだ落としきっていなかった暖炉の火をかきたてながら、ブラッドは居間で一番あたたかい場所にある、座り心地のいい椅子を勧めた。
「ごめん、あげてもらうほどのことじゃないんだけど……」
「何を言うんだ、エリックが初めて訪ねて来てくれたのに、おもてなしもしないなんて！」
ガウン姿でおどけるブラッドに、ようやくエリックにも笑みがもれた。それまでよほどガチガチに緊張していたのだろう。居心地のいい椅子も、一役買っていた。
「エリック？」
飲み物といったら酒くらいしかなく、何かもうちょっと気のきいたものはなかったか？とブラッドが頭を悩ませていると、ふとエリックの足元の小さな荷物が目にとまった。
「それは？」
「うん……犯人も分かったっていうし……故郷へ行こうと思って……」
「でも今はもう、家族は誰もいないんじゃなかったっけ？」
ブラッドは、エリックの前にひざまずいてそう尋ねた。
「うん。でも、故郷にはかわりないし。それに、オーランドを引き取って育てるには、ここよりもあっちのほうがいいかな、と思って。ここだと、街に立つしかなくなっちゃうから……」
「エリック、なら、俺も行く」
「ブラッド！？」
「すぐは無理だけど、こっちの始末をつけたら、俺も行く。一緒にオーランドを育てよう」
「だって、そんな……」
「またエリックの『だって』がはじまった」
ブラッドはくすりと笑って、エリックの頬を指の背で撫ぜた。
「だってだってブラッド……！」
「止めてくれるな。エリックが行くなら、俺も行くよ」
「ブラッド……」
「行ってもいい？エリックの故郷へ、俺も。オーランドを育てるのを、手伝っても、いい？俺を、エリックの家族にしてくれる？」
「ブラッド……うれし……」
「また泣く」
「だって……」
「サヨナラ言うつもりで来たろ？」
エリックはうつむいたままうなずいた。
「やっぱり。こんな時間に来るなんて、そんなこったろうと思った。思い出のひとつも作って、それでサヨナラするつもりだったろ？」
エリックは、またうなずいた。
「つめが甘いよ、エリックさん」
「ブラッド……」
「『愛してる』ってのはそういうこったよ、エリックさん？」
「ブラッド……」
「夜が明けたら出発するといいよ。それまで一緒にいよ。しばしの別れを惜しもうぜ」
「ブラッド……」
立ち上がったブラッドは、いとも軽々とエリックを抱き上げた。そのまま。
「あ、エリックそのドア開けて」
「ブラッド……」
寝室まで。
「何時の汽車で行くつもりだったの？なら、時間はたっぷりあるな」
「ブラッド……」
まっすぐに急いで、でも丁寧に。
「愛してるよ、エリック」
「ブラッド、わたしも………わたしも、愛してる……」