「大丈夫だろうか……？」
ヘクトルは心配げに越し方を眺めやった。
後ろ髪ひかれるその様子が面白いはずもなく、アキレスはヘクトルの頭をつまむようにして持つと、くるりと前を向き直らせた。
「あれしきのことでどうにかなるようなやわな連中じゃないさ」
だから心配無用である！と鼻息も荒く宣言したアキレスは、ヘクトルの手を取ってずんずん歩きつづけた。とりあえずヘクトルの気を、そっちからこっちに戻すことが急務だった。
「でも……」
「母上もエウドロスがついているんだ。いざとなったら薬師でもなんでも呼ぶだろうさ」
「そう、か……」
「それに、あいつらもそういったことは得意だからな。いざとなったら吐くでも何でもするだろう。食えないものを食ったわけじゃないんだから」
「そう、だな……」
まだ少し気にかかっていたヘクトルだが、それでようやく安心したようだった。そのヘクトルの様子を見て、アキレスもようやっと嬉しそうに笑った。そのアキレスを見てヘクトルも微笑んだ。プティアには今オデュッセウスが遊びに来ていた。
ヘクトルと上手くいっているのかを検分するとか、プティアとの交流を深めるとか、交易の具合を調査するなど、理由を挙げればきりがないが要するにオデュッセウスは放浪癖があって、イタケのことをそれはもう愛していたが、同じくらい漂泊の日々も愛しているのだった。それでもせめて、イタケ近隣の都市で我慢しているだけ落ち着いたものだ、とは、オデュッセウスの老父母をはじめとするイタケの領民の共通見解だった。
オデュッセウスが来ているからといって、特別なことはしない。
アキレスたちにとってオデュッセウスは親族同然の幼なじみであったし、オデュッセウスもことさらなもてなしをしないでくれているのが気に入っていた。しかし、企画はしていた。
オデュッセウスがいるときは、オデュッセウスがいなければ出来ないことをする、と。
そのうちのひとつが闇鍋だった。
参加者ひとりひとりが具材を用意し、順に鍋に入れる。煮立ったそれをひと碗ずつ掬い､音を上げたものが残りをすべて平らげる――――という。「それにしてもまさか、あんなに薬草だらけの鍋になるとは思わなかった」
ひと品くらいは食しやすいものがあってもいいだろうと考えたヘクトルが入れたのはじゃがいもだった。ただし皮付き。
「かろうじて母上は香草だったがな」
しかしあれは鼻が曲がりそうだった、と言うアキレスが投じたのは海で取れた雑魚だった。おかげでいい出汁になったが、煮とけてしまい食べるほどの部位はなかった。
「うむ。テティスさまのものは良かったのだが、オデュッセウスとパトロクロスが、なぁ……」
「俺もまさか２人して薬草なんかを入れるとは思わなかった」
幸いなことに、腹下しの嘔吐のといった、物騒なものではなかったが、間違いなく良薬だったそれはたいそう口に苦いものだった。
「しかしパトロクロスも情けない。あれくらいでひっくり返るとは」
鍛えなおさなくては！とアキレスは拳を振るって宣言した。
「オデュッセウスまでもがまさかなぁ」
全員同じ物を食べたはずなのに、２人とテティスはなんともなかった。
「ところで今晩はなんだろうな」
「そうだな。アキレスは何がいいんだ？」
健康な四肢と五臓六腑に幸あれかし。