「あ……」
その店の前を通ったとき、サムはつい声に出してしまったのだった。
「どうした、サム？」
車はモーテルに置いて、ほど近いダイナーまで、歩いて向かうところだった。
「や……なんでも……」
「あるんだな、その顔は」
目指す先はパブでもバーでもなくダイナーなので、今日は華麗な技を見せてやれないぜ、残念だぜと、歩きながらダーツを投げる真似をしていたディーンはしたり顔でうなづいた。
「リカーショップがどうかしたのか？浴びるほど飲みたいってか？」
「ちがう、って……」
「じゃあなんだってんだよ。キリキリ白状しろ」
お上にも慈悲はあるぞ、とディーンは最近凝っているジャパニーズドラマの決めセリフを言った。そういう言葉を今、使いたくて仕様がないのだった。
「……酒じゃなくて、ワインでさ、ちょっとさ……」
これはもう、言わないと勘弁してはもらえないだろう、言うまでずっと大きなキャンデーのようにいつまでも、ディーンのおもちゃのようにしゃぶられてしまうだろうとサムは思った。「ワインがどうかしたのか？飲んだぐれて肝心なときに役に立たなかったとか？」
何百回何千回もともにした食事で、ついぞ１回も飲みたがったことのない酒類の名前に、ディーンは首をひねりながら問い返した。
「肝心なときってなんだよ」
「そりゃおまえ、オトコとして肝心なときに決まってるじゃないか」
ディーンは弟を愛していた。このディーン・ウィンチェスター、弟と父の為なら死ねる！と街の真ん中で大声で言えるくらいに愛していた。しかし、その愛する弟を、楽しくいじれる機会を逃すような愛し方はしていなかった。
にやにやしながら聞いてくるディーンに、またからかうネタを与えてしまったことに肩を落としながらも、これはこれで生涯の汚点のひとつなので、サムは正直に弱音を吐いた。
「この間サラと食事行ったときにさ」
「なに、サラ？」
案の定サラの名前を出すと、ディーンの食いつきが違った。自分よりも兄貴の方が気に入ってるんじゃないの？というくらいディーンお気に入りのサラの話にきらめいた瞳を向けられて、サムは早くもげんなりした。「サラがどうした？キリキリ吐けい！」
喉元を締め上げられかねない勢いに――――段差でも利用しない限り、物理的に無理ある構図だったが――――サムは、もしかして兄貴は自分よりもサラみたいな妹が欲しかった、とか言い出すんじゃないだろうか、とちょっと思った。
うんざりするほどの愛を、ディーンが自分に注いでくれているのは知っているし疑ったことはなかったが、かわいくて素直で元気のいい妹を求める男心はまた別物だった。
「ごほっ……違うよ、サラじゃなくて、その店でさ」
別物過ぎて、本当にちょっと締め上げられたサムは、咳き込みながらそう言った。
「店？店がどうかしたのか？」
サラのことじゃないと聞いて、ディーンも締め上げる手を止めた。その代わり、店の奴が、かわいい弟に何かしでかしたのだとしたら、今からでも取って返して、締め上げてやらなくては！と決意を固めていた。
「うん……その店がまたさ、本格的なレストランって奴でさ、いきなりワインリストなんか渡されちゃうような店でさ……」
思い出してもほの悔しい過去の話に、自然とサムの足は遅くなった。「へぇ。いい店じゃん。そっかぁ、おまえもデートにそういう店を使うようになったか！」
バンと背中をどやされて、サムはまた咳き込んだ。どこの親父だと思って睨んでも、ディーンはあの小さかったサムがねぇとしみじみするのに忙しそうだった。
「冗談じゃないよ。ワインのことなんて何にも分かんないからさ、サラがビールが飲みたいって言ってくれなきゃどうなってたことか」
「ははは、そりゃ困るよなぁ」
ディーンは気持ちよく笑い飛ばした。
「なんだよ」
当然の如く、サムは気分を害した。しまいには身をのけぞらしてまで笑いつづけるディーンの足を蹴っ飛ばしたサムに、お返しをしてもまだディーンは笑っていた。
「はぁはぁ……親父の話を思い出したんだよ」
別におまえのことだけで笑ってたわけじゃないんだと前置きしてからディーンは言った。
「親父も母さんとの初デートのときに気張りすぎちまってさ、そういう店に行ったんだと。そしたらギャルソンだかソムリエが現れて、ワインリストなんて渡すもんだからパニクっちゃってさ」
あの親父がだぜ？とディーンが言えば、確かにそれは見物だったろうとサムも認めざるをえなかった。「やっぱりそんとき母さんに助けてもらったんだってさ」
ワインリストを渡されたものの、赤白の別と値段は分かるものの、どれがどういうものなのかさっぱり分からず途方にくれていると、のちに妻になるメアリが朗らかに言ったのだった。「わたし、冷たいのが好きなので白がいいわ」と。
その調子で「辛口がいいわ。さっぱりしているし」とか、「あまり高級なのは分からないの」などと言ってくれたのだった。さらには「でも銘柄はさっぱりなの。こちらはソムリエなんでしょう？専門家に相談してみない？」と。それで、それらを総合して伝えると、どう見てもワインに造詣が深いわけでもなんでもなさそうな若いカップルの、サイフと口に合わせた白ワインを薦めてくれたのだった。
「親父が言ってたぜ。そういうのを選べ、って」
「……あっそ」
結局自慢話かい、どうせ僕は背伸びしましたよ！と思わないでもないサムだった。
「デートは、母さんみたいなステキな相手と決めろってさ」
そう言ってディーンは、キュートにウィンクを決めてみせたのだった。