「はいどうぞ、神父さま」
そう言って居候は、こっそり死守していたひと皿を神父の前に置いた。
皿からは、匂いを嗅いだだけですぐに何の料理か分かる代表選手が、よそわれていた。
「ありがとう。ああ、いい匂いだ」
神父は笑顔で給仕する居候を見上げた。教会のお掃除と次の説教と、地元紙に頼まれている記事と明日の会合と、気になることなら山積みの神父をそうそうに座らせて、居候は給仕に専念していた。台所は任せてくれるようにと言っているのに、それではしのびないと神父は、働きづめのくせにすぐに手伝おうと席を立ちたがるので困ってしまう、と思っていた。
本当は神父の分だけ残っていればそれで充分なのだが、それでは神父が気にして食べないだろうから居候は自分の分も確保しておいたのだった。
いただきますの感謝の祈りを捧げ、２人は笑顔でスプーンを手にした。
カレーの独特の匂いが教会の台所を満たしていた。
これからさらにそのカレーは、腹ペコの神父と居候の、梅雨バテ気味の胃袋をも満たしてくれるはずだった。
「何にしようかな」
居候は夕食の献立について考えていた。
このところこの町は雨続きで教会の柱までもがじめじめしているようで、神父はすっかり梅雨バテの様相を示していた。本人は例によって我慢強く、弱音ひとつもらさずがんばっていたがしんどい思いをしているのは明白だった。居候がいち早く気がついて食事に気を使っていなかったら、梅雨バテで寝込むか最悪の場合、倒れてしまっていたことだろう。そうでなくとも、使命に燃えるあまり、寝食を二の次三の次にしてしまうきらいのある神父なのだから。
「前はどうしていたんだろ」
居候はいつもそう思っていた。おそらくきっと、近隣の人々や信徒たち、とりわけ婦人会の面々が、気をつけていたのだろう。彼らも今は安心しているはずだった。神父のもとには、金の草鞋を履いて探しても見つからなさそうな、行き届いた居候がいるのだから。
「さて、今日は何がいいかな」
今年の気候はすっかりおかしくて、蒸し暑い、というよりも蒸し涼しかった。気候もたまにはアバンギャルドなことに挑戦してみたくなったのかもしれなかったが、そこに住む人間には迷惑なだけの話だった。ただでさえ、自然な生活、清貧な暮らししか送ろうとしない人間にとっては。
だから、少しでも教会を居心地の良い場所にすべく、神父も居候も忙しかった。まずは教会の掃除だった。空気が湿っぽいのは致し方ないとしても、せめて清潔にしておかなくては、ということで毎朝の掃除プラス夕方の拭き掃除も加わった。口に入るものは聖水といえど管理をしっかりと。万が一にでも教会のものを口にして変調をきたすことなど、あってはならないことを防ぐために。
台所を預かる居候も、神父の食生活と同じくらいに客人に出す飲み物食べ物には気をつけていた。彼らに何かあれば、まず神父が悲しむからだった。それはあってはならないことだった。自分のしたことで、神父を悲しませることは。
居候は庭のハーブを使って香りの力を借りたり、殺菌消毒に使ったりもしていた。
何もかも、以前の力を使えばたちどころに教会を秋風立つ高原のように清々しい場所にすることも出来たのだが、そういった特別を、神父はきっと喜ばないだろう。そう思って居候も、神父と一緒にこのじめじめかびかびする季節に耐えることにしたのだった。
「やっぱり季節のものだよね」
台所をピカピカにしながら居候は呟いた。
「季節のものがやっぱり、その季節に一番あってるっていうから」
毎日毎日献立を考えるのも楽しかった。その楽しみは、魔王をやっているときにはついぞ感じることのなかった楽しみだった。あの頃はそれはもう。
「忙しいっていいなぁ。退屈する暇が、ないもんね」
カレーにすることにして、旬の食材を投入して、いい匂いをさせてからだった。居候が失敗に気づいたのは。
カレーは、いい匂いがしすぎるのだった。
「おいしいね。この辛味と酸味が身体に染み渡るようだよ」
「良かった」
トマトやピーマン、ふんだんに玉葱。それからかぼちゃを少々にナスも入れてあった。およそこの季節の、地面に生えそうな野菜なら、なんでも入れるような勢いで。季節がいつだかも分からなくなってしまったような食材よりも、それがとても身体に効いた。教会からするいい匂いにつられて、お相伴にあずかった人たちもきっと、今頃少ししゃっきりしていることだろうと思われた。その中には、近隣の人たち以外の、人間以外の存在も多々あったが。
「でもまあ……」
食材差し入れてくれたから勘弁してやろう、と居候は思っていた。
「何か言ったかい？」
「明日のばんごはんは、何にしようかな、って」
神父の問いかけに、居候はにっこり笑って答えたのだった。
桔梗さんリクエスト
『じめじめ梅雨をやり過ごそうとフントウする
神父さま＆居候。得意料理付き』
にございます。
私もフントウしたいです。
じめじめ梅雨を乗り切るのに…。