１日の仕事を終えて、やれやれとばかりに部屋に戻ってきたところだった。
荒れ果てた部屋の有様にため息をつきながら、次の休みには、今度こそ何があっても絶対に部屋を掃除しなくちゃならないな、とクラークはタイをゆるめた。いくら人を超えているスーパーマンといえども、忙しさにまぎれて部屋が荒れていくのは如何ともしがたかった。
「この部屋じゃ、とてもくつろぐどころじゃないな……」
タイをはずしシャツのボタンをはずしながらそう呟いた。そんなことを言いながらも、ついついタイをベッドボードにかけてしまう自分のだらしなさにに、クラークは自嘲の笑みをもらした。
「これがいけないんだがな」
外は霧雨が降っていた。傘を持っていなかったクラークは濡れながらあと少しだからと走って帰ってきたのだった。会社を出るときも泣きそうな空だったのだろうしかし、大都市の塗りつぶしたような夜空ではどんな空模様かを図ることは出来なかった。普通の人間には。
「明日も降るかな……」
部屋のこもった空気を入れ替えたくなって、空模様を見てみたくて、クラークは窓を開いた。すると目の前に、真っ黒くろすけな格好をした、ありていに言えばバットマンの格好をした男が、バットマンその人が、いた。「……こんばんは、ブルース」
自分ならいざ知らず、自分がそんな体験をするとは思っていなかったクラークはそう言うのが精一杯だった。だがすぐにクラークは、自分の部屋が１階ましてや地下でもなんでもなく、屋根裏に近い部屋であることを思い出した。
「ブブブルース！ここここは７階っ！！」
クラークは懸命に手を伸ばしてバットマンなブルースを部屋に、せめて捕まえようと手を伸ばした。しかし屋根の上に立つブルースは、クラークのそんな狼狽などかけらも気にしていない様子でそこにいた。誰の手も拒むかのような聳え立つ、黒い衣に身を包み都市を守る騎士が何を思ってそこにたたずんでいるのか、マスクの向こうの心はうかがい知ることは出来なかった。
「クラーク」
ようやっと出したブルースの声は、変声機を通したしわがれたもので、クラークはますます、自分の目の前にいるのが誰だか、見失ってしまいそうだった。ブルースがつれないのはいつものことだったが、今日は様子がおかしかった。バットマンか、あるいはブルースの身辺に、何かあったのではないかといぶかしんでいると。
「手を上げろ」
霧雨にそぼぬれながら手を伸ばしているクラークに、ブルースは拳銃を突きつけた。「ブルース……」
突然のこの行為は、ブルースのどんな闇を示しているのか、ついにクラークを、あるいはスーパーマンを殺さねばならないと思い定めてしまったのだろうかと、クラークは自分の身の安全よりも、ただブルースのことが気にかかった。普通の弾丸ではクラークを傷つけることなど出来やしないことは、誰よりもブルースが知っているはずだった。爪を立てても、引っかき傷ひとつ出来ないのかと怒られた、あれはいつのことだったのか。するとこの銃に収められている弾丸は、いずれスーパーマンの弱点であるクリプトナイトをどこかに使用したものなのだろう。
「クラーク」
いつブルースが、自分とのことを、許せなくなってしまったのか。不明にして今まで気がつくことが出来なかったブルースの闇のさらに奥にある闇に向けて、手を差し伸べているような気がした。
「……ブルース」
引き金にかかったブルースの指に力が込められた。引き金を引くカチっという音がするのとほぼ同時に、バンっというかすかな発射音が響いた。音に気付くものは誰もいないだろう、ここはそういう物騒なことが、いつ起こってもおかしくはない街だった。さらに今は、雨で音が消されるだろう。雨脚はさっきよりも強くなったようだった。「……ブルース？」
「……いたずら成功」
ブルースの持つ銃から発射されたのは、弾丸ならぬにぎやかな飾りだった。ふわふわしたモールや、ふよふよとただようあかんべえをした丸い顔や、はらはらと散っていくキラキラした小さな紙や国旗などなど。
「これは……いったい……」
「ハロウィンのいたずらだ」
ブルースは銃口を口元にあて、ありもしない硝煙をふっと吹き飛ばした。それから、見える口元だけでも充分に分かる、文字通りいたずらが成功したことを喜ぶ、ニヤリとした悪い笑みを浮かべクラークを見下ろしていた。
「……ハロウィンはまだずっと先だよブルース……」
クラークはそれでもやっぱり緊張していたのだろう、つめていた息を吐くと全身からどっと力が抜けていくのを感じた。
「うるさい。いたずらが成功したからいいんだ」
「いたずらかごちそうか聞いてくれなかったくせに……」
「細かいことを気にするな」
クラークが驚いてくれたので、ブルースは満腹した猫のような顔をして満足していた。「……なにしてるんだ、ブルース？」
脱力するクラークのいる窓を、よっこらしょとばかりにブルースが乗り越えようとしていた。
「部屋に入る」
何を当たり前のことを、といったブルースの性格と、さらに大富豪ならではという様子にクラークは気圧されて道をあけてしまうのだった。
「ああ、またやってしまった……」
そのおかげでこの、大富豪様というよりも街を守るダークナイトというよりも、困ることも多いけれどかわいい大事なお坊ちゃまというか、それとも女王様なのだろうかというこの男に、何度もとても言葉につくせないような何というか、まあそのイロイロと色々なのだった。
「何をぶつぶつ言っている」
あれこれ言うのはあきらめたクラークは窓を閉め、ブルースのほうを振り返った。
「なななにをしているんだブルース！」
今度こそ本当にクラークは魂消た。部屋に入ったブルースは、黙って立っているだけで、掃き溜めになんとかのようなのに、さらにそのバットマンのスーツを脱いでしまっていたのだった。「ブルース！」
「うるさい、早く来い」
ブルースは、持ち主に断りもなくベッドの上のものを払いのけ、バットマンスーツのアンダーだけの姿で乗り上げるとクラークをにらみつけた。犯罪者を追い詰めるような鋭い目つきで、クラークは悪事を働いた者の気分だった。
「ブ、ブルース？」
「いたずらをすると言っているだろう」
果敢で潔くて、強くて果断で、そしてベッドについた手はふるえているのだった。
「……早く、来ないか、クラーク」
怒ったように照れているように、あるいは恐がってでもいるように。
顔をそむけるブルースを、それ以上待たせるにはしのびなかった。
「今行くよ、ブルース」
クラークは喉がならないよう気をつけながら、息ごと口の中にたまったなんやかやを飲み込み、今度こそシャツを脱ぎ捨てるべく、ボタンをはずしながら進んでいったのだった。
えーと、ご笑覧いただけるようでしたら、
謹んであおせさんに捧げたたく。
うーんうーん、どうだろう？（汗）