「あれ、ミスターだ」
「え？」
人ごみを抜けるときディーンがそう言ったのはもちろん、某島国の野球の上手いおぢざまのアイドルのことではなく彼らの国の国家元首のことだった。
「ああ、本当だ。施設に慰問かな？」
サムたちがいるのは、病院や病後のリハビリのための施設や、療養のための施設や精神的に不安定な者ののための施設などが複合されている場所だった。今日は珍しく事件がらみではなかった。
小児病棟のパーティに、ボランティアとして参加したのだった。ボランティアなので、もちろん報酬は出なかったが食べ物は出るということでサムが誘ったら、ディーンもＯＫしたというわけだった。女性や子供、支援者なのか背広のおじさんたちに囲まれて談笑してるのは、いつもにこやかな表情を崩さない行政府の長だった。「大人気だね」
こんなに近くで有名人を見る機会なんてそうはないだろうからと、立ち止まって見ている通行人も結構いた。まわりから見れば２人も、その仲間だったが。
「意外とお茶目だしな」
その言葉に、サムはあれ？と思った。ディーンがまるで、ちょっとした知り合いのような口ぶりだったからだった。
「ディーン、もしかして……」
彼のこと知ってるの？と聞こうとしたときだった。彼がこちらにやってきたので、少しでも近くで見ようと、あるいは握手してもらおうと直接花束を渡そうとする人波に押されて、２人は離されてしまったのだった。
「ミスター！」
１人の少女が走り出た。白とピンクのドレスに赤いリボン、手には同色のリボンでくくられた、小さなブーケ。どこから見ても愛らしいその光景を、疑うものはいなかった。少女が花束を渡した途端、おそろしい化け物に変わるまでは。「キャー！」
「ミスター！！」
たちまちあたりは阿鼻叫喚の騒ぎとなった。見物人たちは身体を低くして怯え、シークレットサービスたちは色めきたった。しかし化け物はあまりにも彼に近く、構えた拳銃をどうすべきか迷いが見えた。サムにはその正体が分かったが、こんな人ごみでしかも急に何が出来るか考えた。とにかくディーンと合流しなければ、と思ってディーンの姿を探そうとしたら。
「わっ！」
その声が合図だったかのように、すごい勢いで水が噴出した。
スプリンクラーの超特大といったその大元はどうやら、消火栓のようだった。
「ディーン？」
消火栓のそばでかがんでいたディーンが、サムに向けて合図した。とっととずらかろうぜというその意図には賛成だったが、この緊迫した場面でのディーンの行動がつかめなくて、サムは目をぱちくりさせた。どうやら消火栓を壊したのはディーンのようだからだった。
「ミスター！」その声につれられて今度は彼のほうを見てみると、化け物の姿が煙のように消えていた。彼もシークレットサービスも見物人もずぶ濡れだった。そして彼は。
「ディーン、いったい何したのさ」
その騒ぎに乗じて、ディーンとサムは逃げ出した。いつまでの騒ぎの現場にいるのは好ましくなかった。
「消火栓の水に、聖水混ぜた」
効いてよかったぜ、とディーンはいつも持ってる小瓶をもてあそびながらそう言った。
「聖水？ああ、そうか……」
あの距離では確かにこんな小瓶では足りなかっただろう、かといって塩の銃弾なんかを持ち出せば、こっちが暗殺犯と思われてしまったことだろう。
「ねぇ、ディーン」
ここまで来れば、匍匐前進しなくてもいいだろうというスポットにたどりついた２人は、何も知らない通行人のような顔をして、遠くの騒ぎを横目で見ながら歩きだした。「なんだ、サミー？」
予定外の仕事をしたら腹が減った！と主張するディーンは、オニオンたっぷりのケバブを自分の分も買ったので、機嫌よく言った。
「もしかして……ミスターと知り合い、なの？」
「どうしてそう思うんだ？」
向きなおって、それでももぐもぐをやめようとはせずにディーンは言った。頬袋をいっぱいにしたリスのように、物を食べているディーンは本当に幸せそうだなぁとサムは思った。
「だって、ミスターが合図してたじゃないか。ディーンに」
サムはそれを見逃したりはしなかった。水も滴る姿になってシークレットサービスに囲まれて、それでもディーンの姿に、したことに気づいたらしい彼は、にやっと笑いかけていたのだった。
「ああ、あれか」
指についたチリソースを舐めながら、思い出したディーンは言った。「ああ、知ってる」
「やっぱり」
ずいぶんなビックネームと知り合いなわりには、だったら連邦警察とのいざこざを、なんとかしてもらおうという気が、まったくないのがディーンなのだった。もしかしたら、あの人ならなんとか出来るとか、自分がしたことの見返りに何かしてもらおうだなんてあまり、考えたこともないのかもしれなかった。
「どうしたの、いったい」
あんな風な、この世で一番用心深くあるべき職業の人なのに、とサムが当然の疑問を口にすると、ディーンはあっさりと答えたのだった。
「うん。なんでも秘密の地下道があるから探検してみたんだと。それがちょうど、性質の悪いのを退治してたところでさぁ、何かあっても寝覚めが悪いから守ったら感謝されてさ。ついでに家に憑いてた悪霊もおっぱらってやった」「……そりゃ感謝されるはずだよ、ディーン……」
「やんちゃな人だよなぁ。この間もバースディｰパーティに行方不明になったんだっけ？」
はたしてそれは『やんちゃ』の一言で片付く問題なのだろうか？と思うとサムは頭が痛かった。
「誘拐されたんだよ、ディーン」
「そうだったっけ？まあとにかく、面白いおっさんだよな」
全米を揺るがす陰謀か！？というあの騒ぎの当事者を、その一言でカテゴライズしてしまうディーンのほうこそがよっぽど。
「……僕はディーンのほうがすごいと思うけどね……」
サムはケバブのつづきを食べるのに忙しいディーンに聞こえないような小さな声で、呟くのだった。
「何か言ったか、サミー？」
「なんでもない。これ美味しいね、ディーン！」
それと、サミーって呼ぶなって言ってるだろ！と叫びながら、ディーンに追いつくべくケバブを頬張るサムなのだった。