「ここにするか」
ディーンがそう言ったのは、小さな町の小さな教会の前でのことだった。
「こんな小さなとこで？」
サムがそう答えるのも無理はなかった。
その教会は、ディーンとサムが何度も預けられたことのある、懐かしいジム牧師の教会とは比べ物にならないくらいの、本当にこぢんまりした町の教会だったのだ。
「けど、どっかで聖水の補給しなきゃならないだろ？この近くには当分町はないぞ。もちろん教会もない」
ディーンがきっぱりとそう言うのには訳があった。それもディーンにとってだけ、強力な訳が。
「……よかったね、ディーン。ふらふらとついてきた美人が、教会に用のある人で」
おかげで、一見立派そうな理由が成立したわけだった。
ディーンが見惚れたナイスバディの美人はどうやら教会活動に熱心なミセスのようで、途中で既婚者の証のリングの存在に気づいていたものの、言って止まるわけもないディーンのことだと、すでに充分すぎるほどの悟りを開いているサムは、ディーンのしたいようにさせることにした。もともとこの町には、食事でもしようかと寄っただけだった。それなのに、車を止めてさぁダイナーにでも、と思ったところでディーンがブルネットの美人にひっかかってしまったのだった。
「ふらふらって……いや、いやこれもお導きさ、きっと！さあサム、心静かに食前の祈りを捧げて、ついでに聖水も頂戴しようじゃないか！」
そんなわけで、おあずけを食らうことになったサムは、腹が減って機嫌が急降下中だった。それが分かっているからディーンも、正統派なこと言ってとりなそうとしたのだった。
「……じゃあ早く入ろうよ。僕もう腹が減って腹が減って……」
腹を押さえて長身をちぢこませるサムの背中を、ディーンは何も言わずに押し歩き、鍵のかかることのない教会の扉を開けた。
「………」
「………」
いらっしゃいませ〜♪と言って迎えるかわいい女の子がいるわけでも、いらっしゃ〜い、とセクシーに微笑む美女がいたわけでもなかったが、そこは静けさと安らぎと光に満ちた、心おだやかになれる空間だった。入った瞬間、空気が清浄になったかのようだった。「ディーン、ここ……」
「ああ……」
ディーンとサムは顔を見合わせた。ここは特別な場所だった。
聖別された場所だった。ここへはどんな悪魔も、招かれることなく入り込むのは不可能だった。思わず頭を垂れたくなるような、おのずと膝を折りたくなるような、そんな畏敬の心を呼び起こす空間だった。
ごく自然にディーンもサムも祈りのために手を組んで跪いた。
聖堂の持つ静謐そのものと一体と化したような、自分が祈りそのものになったような、純化された存在になったような感覚だった。
長らく忘れていたその感覚に身を委ね、しばしうつむいていると、いつの間にか祭壇の前に金髪の神父の姿があった。身長はサムに譲るかもしれないが、結構にいい身体をしている神父もまた、目を閉じ祈っていた。純粋な祈りを捧げる兄弟の告解に、赦しを与えるように。
祈り終えた兄弟が自分のほうへ視線を向けているのを感じたのか、神父も目を開けにっこりと微笑んだ。そのさまは、兄弟が良く知るジム神父とはまた違った感じだが、慈愛に満ちた包容力ある町の神父の理想そのものといった雰囲気で、ディーンモサムも、つられるようにして微笑み返した。「こんにちは」
『こんにちは』
神父はあくまで懐こかった。ずっと年上なのに、年下でもあるようで、それでいてそんな印象が、矛盾なく同居しているたたずまいだった。
「すみませんね、片付いてなくて」
神父はディーンとサムに、何か話があるかとは聞かなかった。１度や２度の告解で済むようなことでもないし、一家が歩んできた道は、あまりにも荒唐無稽すぎた。
「え、いえ……」
「こちらこそ、黙って入り込んでしまって……」
あまりの居心地のよさ空気の清浄さにばかり心惹かれて、聖堂のあちこちに、昨夜の名残ともいうべきハロウィンの飾りが残っていることにも、言われて初めて気付いたくらいだった。
「とんでもない。教会の扉は、いつでも開かれていますから」
神父ににっこり笑って言われれば、ディーンもサムも頬を赤らめた。あんまり褒められたことはしてないなーと自覚している子供が、思いもかけず心がけを褒められたように。
「神父さまー、パイを切りますよって……あ、失礼」
奥の、教会の居住空間へと続いているだろう扉から、神父と同じ年頃の黒尽くめの男が顔を出した。長めのダークブロンド、細身で癖のある顔立ち、甘いんだかしょっぱいんだか分からないその雰囲気は、ただ者とも思えなかった。「ありがとう。良かったら、ご一緒に如何ですか？婦人会の集まりなんですが、皆さんの持ち寄ったおいしいものがたくさんありますよ」
神父がそう水を向けると、それが合図だったように、ディーンとサムのお腹が空腹のサイレンを鳴らした。
「昨日の残りだけど、かぼちゃのパイもクッキーもあるよ」
持っていけるよ、とその男は言った。あまりにもそうは見えなかったが、どうやらこの教会の聖堂番のようだった。
「彼の作ったものは、子供たちにたいそう人気があるんです。残っていたとは珍しいね」
「多めに作っておいたんだ」
それはなんだか不思議な光景だった。暁と黄昏が同居しているような、この世ならざる光景を、目の当たりにしているような。
「ディーン……」
「……邪魔させてもらおうか、サム」
顔を見合わせて兄弟は言った。正直なところ、立ち去りがたくもあったのだ。この、何かに守られているような、あたたかな居心地のいい場所から。
「お気になさらず、どうぞ」
「聖水もたくさんあるよ」
何かを察したのかそうではないのか、とにかくディーンとサムは、声をそろえて言ったのだった。
『ありがとうございます、是非』