「そっか、今日は……」
インパラの運転をサムにまかせ、窓の外を見るともなく見ていたディーンがぽつりと言った。
「どうかした、ディーン？」
大事な大事なディーンの愛車を運転するときは、いつもサムは緊張していた。何しろ傷をつけるどころか、ちょっと荒っぽい運転をしただけでお小言を食らうのだ。嫌でも慎重にならざるを得なかった。
「ん、今日はバレンタインなんだな」
どこかぼんやりとディーンが呟くものだから、サムはってっきり、もしやどこかの空の下にいる、昔別れた彼女のことでも思い出したのかと考えたのだった。
さすがにファミリービジネス絡みのことではないだろうが、ことによると行き先変更もありえるかと思ったら。
「どうしたの、急に？」
それとも、バレンタインに花でも贈りたい子でもいるのかと、『突然思い出したディーンの彼女説』から、なかなか抜け出せずにいるサムだった。「女の子が、プレゼント渡してるのが見えたから、さ」
そういえばさっき、どこかのハイスクールの前を通ったっけ、とサムは思い出した。それから、自分がハイスクールの頃は、バレンタインで騒いでいる余裕はなかったなぁ、と懐かしかった。
狩りに血道を上げて、まともな家庭生活を営む気のない父に反抗してだけではなかったが、大学に行きたくてとにかく勉強していたし、ひとつところに長く居続けることのない生活では、そんなイベントに参加できるようなガールフレンドも出来なかった。
このままここにいたらもしかして？というような友達は何人かいたが、どの子ともいいおトモダチどまりだった。サムにはとても出来なかったのだ。ディーンのように、そのときその場だけのガールフレンドを作って、よろしくやるなどという、刹那的とも思えるつきあいしかしないことは。
「そっか、今日は１４日だもんね」
そう言いながらもサムは、回転速度の速い頭をフル回転させて、今日のこの日に、好んで騒動を起こしたがる、はた迷惑な奴はいなかったか考えていた。しかし、ディーンはまったく違うことを考えていたようで、ある意味サムの度肝を抜いた。「いいなぁ、ああいうの」
「ところで、ディ……ぶっ！」
デイーンがつくづくうらやましそうに言うものだから、さすがに真面目にハンドルを握っていたサムも、吹いてしまった。
「きったねぇなぁ、ホラ……汚すなよ」
そう言ってディーンは、タオルを投げてよこしてくれた。
「あ、ありがとう、ディーン……」
サムにくれたのかこれでハンドルを拭けといっているのか微妙だな、と思いつつ、とりあえず顔を拭き、それからハンドルを拭いた。
「どうしちゃったのさ、急に」
「あ？」
「バレンタインが羨ましくなっちゃったわけ？」
サムとしては、からかったつもりだった。
「そうじゃなくてさ。あんなの、やったことないからさ……」
しかし、大真面目にしみじみ言われてしまうともう。「プレゼントのやりとりっての？そんなの、したことねぇなぁ、ってさ」
そう考えたらちょっと、あの子たちが羨ましいような気がしてさ、とディーンはてれ笑いながら頭をかいた。
「ディーン！」
そうだ、そういえばそうだった。ディーンの生活は、いつだって狩りばかりだった。そうでなければサムや父の世話。それがディーンの生活のすべてだった。
「な、なんだ？」
急にハンドルを切ったため、シートに押し付けられる格好になって、あわてるディーンにサムは言った。
「バレンタインをしよう、ディーン！」
「はあっ！？」
「ちょっと戻るよ！」
「何だよ、おい、サム！」
問答無用でサムは、思い切りアクセルを踏み込んだのだった。
「ディーン、チョコちょうだい」
「はいよ」
運転しながらぼりぼりと食べていた、サムからのバレンタインのプレゼントの、Ｍ＆Ｍ‘ｓの粒状のチョコレートを、差し出したサムの手のひらにざらざらこぼした。
「サーム、メタリカかけてくれよ」
「ＯＫ」
サムは、ディーンからのバレンタインプレゼントのお返しの、お気に入りのカセットテープをかけた。
「やっぱりＭ＆Ｍ‘ｓは美味いな」
「このカセットテープもサイコウだよ」
そう言って２人は、顔を見合わせてにっこり笑った。
幸せな、心穏やかなバレンタインの１コマだった。