ブルース・ウェインの目覚めは最悪だった。
何しろ目の前にクラーク・ケントの、心臓に悪い顔があったのだから。
幸いなことにクラークは寝ているようだった。自分が意識を失っていて、クラークが居眠りをしているのは別段構わなかった。雇用主として、就業中でないのなら。
しかし、その格好が問題だった。ブルースは高層ビルのファサード上で、クラークの膝の上に頭をもたせかけられていたのだった。
「………」
起き上がるわけにはいかなかった。動き出せば必ずこの男は目を覚ます。ブルースはそう確信していた。もしかしたら、自分が目を覚ましたことをいち早く察知して、すでに覚醒に向かっているのかもしれなかった。ブルースはそっと息を吐き出した。
こわごわ確認すると、自分は衣服をつけていたし、クラークも着ていた。まずそのことに安堵して、次に自分たちがいる場所が屋外であることを認識し――――たところで、この状況に至る可能性と、何があったかが、怒涛のように記憶が甦った。昨夜も自警活動に出かけ、そこでちょっとした小競り合いがあった。犯罪が行われているのは明白で、早急に事実を掴み現場を押さえねばならないと思っていた連中が、昨夜にわかに活動を早めめたのだった。
どうやら向こうにも、なんらかのアクシデントがあったらしかった。もしかしたら、バットマンに目をつけられたことに、気付いていたのかもしれなかった。
世に出回らせるわけにはいかない荷物を大急ぎで移動し捌こうとしはじめた小悪党たちを相手に立ち回りを演じ、荷物のあった倉庫と運び出す予定だった船を押さえたあたりで、いつの間にか隣からスーパーマンがやって来ているのに気がついた。
警察にはすでに連絡済だから手を出すなという警告を、スーパーマンは聞こえないふりをして船を押さえた。正直１人では出航しようとする船にまで手が回らなかっただろうなどということはどうでも良かった。
気がつけば小悪党どもは一網打尽となって警察に連れて行かれ、正規の手段でのみ流通すべき品物もすべて押収された。それから、どうして手を出した、君が１人で困っているようだったから、いらん手出しをするな、隣のよしみじゃないか困ったときはお互い様だよ！などというやりとりの後の記憶がなかった。
おそらく、クライムファイトですでに消耗しているところで、無神経な輩と激しい口論をしたことで、何らかの意識障害の状態に陥ったと思われた。ならばこの男に借りはない。そう判断したブルースは、ぶしつけな男は置いて、とっとと帰ることにした。
少しくらい連絡が取れないところでアルフレッドも子供たちも愚かしく取り乱すことはないだろうが、じき夜が開ける。バットマンでいる時間は終わりだった。それだというのに、ブルースは飛び立つことが出来なかった。
クラークの馬鹿力で、がっしりつかまえられていたからだった。夜が明ける。
「おいこらクラーク」
ついにブルースはクラークに呼びかけた。
「起きろクラーク。……離せ」
一刻も早くここから立ち去らねばならなかった。この、居心地のいい場所から。「クラーク！」
声を荒げるとようやくクラークは寝ぼけ眼を開いた。
「……あ……ブルース、おはよう……」
「何を寝ぼけている！離せ！！」
鼻をつまもうとしていた手で、クラークの頬をぴしぴし叩いた。結構な力を込めたつもりなのにこの超人と来たら。
「……うん、もう少し……」
そんなことを言って、ブルースの手のひらにくちづけた。
「……な！何をする、この無礼者！！」
しかし、叩こうにも充分に力が入らず、蹴ろうと思ったら相当おかしな格好になりそうだった。おまけに。
「今日も素敵だね、ブルース……」
どこまで本気なのかそんなことを言うものだから。
「起きろーこの馬鹿者―！！」
ゴッサムの大富豪の、抑えた怒号が、朝の街にこだまするのだった。