クリスマスの飾りつけは、おおむね降誕祭からはじまって、公現節まで続いていく。
ここ、ベイカー街２２１ｂでもそれは同じだった。
もっとも、世間並みのクリスマスの飾りつけなどしてクリスマス気分を存分に味わっているのは主に、家主のハドスン夫人とその女中くらいのものだったが。
「ヤドリギくらいは飾ろうか、ワトスン？」
「なんでヤドリギなんだい。飾るというなら、ツリーか何かだろう、ホームズ」
窓辺のテーブルで、遅い朝食のあとのお茶を楽しむときは、会話も一緒に楽しむのが常だった。どちらがより、楽しんでいるかは、謎だったが。
「だってこの部屋にはクリスマスらしさというものが、まるでないと思わないか？」
「思わないね。その前にすべきことがあるだろう」
確かにすべきことは山程あった。クリスマスを迎え新年を迎えるのに、この居間の状況はひどいの一言だった。どこに何があるのか全部頭に入っているのだから、ペン１本動かしてはならないとホームズは主張していたが、だったらきちんと片付けた状態で記憶しろというのがワトスンの意見だった。その上ホームズの格好がまたひどかった。
とても紳士が人前に着て出るものではない格好のままで表に出ようとするから、ワトスンが自分の服を――――返ってくる当てもないのに――――貸す羽目になるのだった。結局こういうときは、より常識を持ち合わせているほうが割を食うのだと、半ばあきらめていた。
「するべきこと？」
ホームズはかわいらしく小首を傾げた。恐ろしいことにかわいらしいのだ。ワトスンの胸の中に、それと同じくらい、いやそれ以上の「何をほざくか、この片付けられない男めっ！」という罵倒の言葉が渦巻いてはいるが。
「一言で言えば、部屋の掃除だね」
ワトスンはもうあきらめているのだ。ホームズに部屋を片付けすっきりした生活をしろというのは、レストレードに、世界に冠たる歌姫になれと言っているに等しいということだった。
「掃除？」
キョロキョロと見回すところをみると、ホームズにとって掃除という行為がいかに未知なる領域に属するものであるかということが伺えた。
「そう、部屋の掃除だ」
ワトスンは、開いていた新聞を脇へやり、改めてホームズを見据えた。今このときで駄目なら、金輪際駄目かもしれないという決意を込めて。「どうして掃除を？」
する必要がないと思っていることは明白だった。近頃では家主のハドスン夫人も、この部屋を整理整頓された状態で使ってもらうことはあきらめているふしがあって、掃除に入っても見えている床をざっと掃く程度に留めていた。
「この部屋で君はクリスマスを祝おうっていうのかい？」
「もちろん」
「新年も？」
「当然だろう」
「誕生日もか？」
「――――あ？」
よどみなく答えていたホームズの返事が止まった。
「たん、じょう、び？」
「そう、誕生日だ」「だ、れの？」
「君の誕生日だろう、１月６日は」
同居するに当たって、色々と書類上のやりとりがあって、そのときにホームズの誕生日が１月６日で、ちょうど公現節に当たることを知ったのだった。
「……たんじょうびは食べられないよ、ワトスン」
滅多にないことに、どう答えを返したら判らないという顔をしたままホームズは言った。
「誕生日は食べられないが、誕生日のご馳走は食べられと思わないか、ホームズ？ハドスン夫人は、君が気に入ったみたいだから、またミンスミートパイを作ると言っているが？」
よもやまさか、ハドスン夫人の料理に不満があるわけではないだろうが。なんのかんの言ってはいるが、ホームズがハドスン夫人をくさすようなことを言うのはつまるところ、甘えているだけなので、ハドスン夫人が自分の為の料理を用意しようというのを、拒むはずはなかった。「みんすみーとぱい……」
ホームズの顔がうっとりして、口の端からは涎がたれそうだった。
「それに誕生日といえば」
「いえば？」
「贈り物をすると相場が決まっている」
「決まっているのか！？」
重々しくワトスンは頷いた。
「そうだ。クリスマスについで大事な行事だ」
子供たちにとって、という言葉は飲み込んだ。正直なところ、似たようなもんだとは思っていたが。
「すごいもんだな、たんじょうびというのは……」
ホームズは感に堪えないというように呟いた。「だからさっさとその風邪を治してしまうことだな、ホームズ」
ワトスンは、ありったけの防寒服を着込んでまるまるしているホームズを一瞥して言った。
「もちろんだよ、ワトスン！」
真冬だというのにテムズ川に飛び込んで、まんまと風邪を引いたホームズにワトスンもハドスン夫人もあきれ返った。しかもその理由が、飛んでいった風船を取ろうとしてだというのだから驚きだった。飛ばしてしまった子供は風船のことをあきらめたのに、ホームズはあきらめなかった。その結果がこれだった。
誕生日のご馳走のためにホームズは風邪を治すだろう、それは確実だった。この寒い季節に、シャツ一枚でいられるほど部屋中を暖め、ご馳走が食べられないのは嫌だろう？となだめる役をおおせつかったワトスンはこっそりため息をついた。
誕生日もクリスマスも新年も何もかも、ワトスンとこの下宿に住むまでまったく知らなかったと嘯くホームズに、心ばかりの誕生日のお祝いを言うために。
書こうと思ったのが、そもそも
よそさまのホームズ誕生日話を読んでからなので、
時期はずれもはなはだしいのですが。