ショーンは雑貨屋から歩道に出たところで、こほっとひとつ咳をした。
「風邪か？」
買い物の袋を抱えて並んで歩いていたヴィゴは、眉をしかめてそう言った。
別に風邪がうつるのを心配したとかいうわけではなくて、ショーンが引いたかもしれないというのが嫌なのだった。誰にとってもこの時期風邪になど近寄りたくはないだろうｶﾞ、俳優という、常に自分をパーフェクトな状態に保っていなくてはならない職業柄、特に注意が必要だった。
「……いや、違うよ」
もう一度こほっとやって喉を整えてショーンは言った。
「とりあえずこれでも舐めとけ」
聞く耳持たずにヴィゴは、どこからともなく取り出したチョコレートを、ショーンの口目掛けて放り込んだ。愛しのチョコレートの妖精は、今日もチョコを常備しているらしかった。
「ほかに何かなかったかな……」
さらにポケットを探っているヴィゴを止めるためにショーンは、この寒い中、素手であちこち探索しているので、氷のようになったヴィゴの手をつかまえた。こうして捕まえていれば、片手に荷物を持ち、もう片方の手をショーンに握られたヴィゴは、これ以上あてどない捜索をしなくて済むはずだった。「そうじゃなくて、……店の中の空気が少し、悪かったみたいだ」
新鮮な空気を吸ってたら、咳が出たんだよとショーンは説明した。
「それならいいけど……本当に大丈夫か？」
「大丈夫さ」
ショーンは笑顔で請合った。そうでもしないとこの、自分のことにはまるで無頓着なのに、人のこととなると限りなく心配性になってしまう恋人は、あれもこれもと楽しみに計画しているすべてを中止にして、ショーンをベッドに縛りつけかねなかった。
せっかく休暇の予定をどうにかあわせて、２人でゆっくり過ごすために、お気に入りの場所までやって来たというのに。
「君の方こそ、そんな薄着で大丈夫なのかい？」
そのままにしておくと、際限なく心配されてしまいそうだと思ったショーンは、反対にそう聞いてやった。海の近くなので、雲は重く垂れ込めていて、ぐずぐずしていると雪でも降るのではないかというほどの寒さだった。それなのにヴィゴは、マフラーこそぐるぐる巻きにしているものの、およそ真冬のイギリスに相応しい格好とはいえない軽装具合だった。「夏に来て気に入ったからって、冬にイギリスの海辺は無謀だったかな」
しゃべっていても、口の中や鼻の中が凍りそうだった。
「でも空気が澄んでていいよ」
お互い、ロンドンとロサンゼルスという、いずれ劣らぬ大都市に住んでいるので、排気ガスの少ない正常な空気なぞ、望むべくもなかった。
「確かに」
ショーンは笑って言った。ヴィゴと一緒でなければ、一歩だって家の中から出たくはない日和だけれど、ヴィゴと一緒なら、このまま海岸沿いに歩いて帰ったっていいくらいだった。ただし貸し別荘に帰ったら、震え上がることだろうが。
「でもここなら……」
そう言っているヴィゴの口に、雪が入った。
「降ってきたか」
雪が降ると、空を見上げてしまうのは何故だろうか。このときのショーンとヴィゴもそうだった。朝から、いかにも降りそうな空だったが、ついに雪も我慢の限界を超えたらしかった。
「初雪だ」
にっと笑ってヴィゴは言った。この土地にとっては忌々しい雪かもしれないが、２人一緒なら、何でも大歓迎だった。
「早いとこ帰ろうぜ。凍えちまう前に」
楽しそうにヴィゴは、ショーンの腕を引いて急かした。
「邪魔の来ない、快適な仮住まいへＧＯだ！」
拳を振り上げて、雄叫びを上げて。それは、誰もいない静かな通りに響き渡った。
「仰せの通りに」
芝居がかった言葉を返してショーンもそれに従った。
人気のない道でも、様子を見て出来ることもあったが、手っ取り早くかつ心置きなくいちゃいちゃするためには、家に戻るのが一番だった。そして。
早く２人きりになりたいのは、どっちも同じだった。