「おまえだけか、チャーリー？」
ピザの大きな箱とビールの６本セット片手に入ってきたドンは、馴染みの我が家にいるのがチャーリー１人と分かると意外そうな顔をした。てっきりラリーかアミタか、もしかしたら２人とも来ていると思っていたからだった。
「おかえり、ドン」
食堂のテーブル狭しと広げていた書類はそのままにドンにむきなおり、にっこり笑った。
「父さんは、友達とゴルフ旅行に行ってるよ」
独立したとは思えないほどちょくちょく実家に顔を出すドンだったが、父親がいないと分かった途端、残念そうな顔をするのはいつものことなので、チャーリーも始めの頃のように、こだわったり落ち込んだりしないことにした。
要するにドンは、自分と２人きりになるとどう振舞えばいいのか分からなくなってしまって、ついぶっきらぼうな態度をとってしまうのだと解釈していた。
まったくドンはかわいいんだから、とチャｰリーはいつも思っていた。
そして、そんなドンを見られるのは、自分だけなんだと思うと、言いようもない喜びがこみ上げてくるのだった。実のところ本当にドンが弟と２人きりなのに戸惑っていて、チャーリーの過激なスキンシップに流されないよう腹に力を入れて望んでいるとか、ちょくちょく実家に顔を出す理由が父の手料理にあることまでは知らなかった。
「そうらしいな」
チャーリーが書類を脇に寄せて出来たスペースにピザとビールを置くと、ドンも手近なイスに座った。
「聞いてたの？」
「電話がかかってきた。うちに来るなら、リブロースの用意はないぞ、ってさ」
父がいないのが分かっているのにわざわざ来たということは。チャーリーの期待は、いやがうえにも高まった。
「食べるか？」
ピザの蓋を開けながら、ビールを取ってドンは尋ねた。食べないという答えが返ってくるはずがないと思っていることは明白だった。パンケーキの件でも分かるように、とても仲が良くて、お互いのことなら何でも知っているとは言えない幼少期を過ごしたものだから、ドンは自分が好きなものは、チャーリーも好きだと思っていた。チャーリーがドンの好みにあわせているとは、夢にも思っていないドンだった。
「ありがとう。ちょうどお腹へってたんだ」
それが分かるからチャーリーは、いつもドンの土産を喜んだ。子供の頃はこんな風に、２人でピザを食べることもビールを飲むこともなかったのだからなおさらだった。
「友達って女か？」
あっという間に１枚食べ終えたドンは、なかなか取れない次の１枚に悪戦苦闘しながら言った。ビールも残り少ないので、相当腹をすかせていたようだった。
「残念、男だって」
男だからといって、未来の恋人候補ではないかどうかは、分からないけどねという言葉は、胸の中でだけ呟いたつもりだったのに、ドンには分かってしまったようで睨まれた。
軽く肩をすくめてみせることで、本気でそう思っているわけではないことを伝えるとチャーリーは話をかえることにした。
「スープとサラダもあるけど、用意しようか？」
「……ずいぶん豪勢じゃないか」ドンは目をぱちくりさせてそういった。１人でまたぞろ数学に没頭しているから、てっきり食事のことなど忘れているのかと思って、留守にするから良かったら様子を見に来て欲しいという無言の要請を受けて、食べ物持参でやって来たというのに、肩透かしを食らった気分だった。結局のところ、口では何だかんだ言いつつも、弟に甘いのは父も兄も同じだった。
「そんなことないよ。スープがあればいつだって食べられるから、多めに作っといたんだ」
しかも、父親が作り置いていったのではなく、弟が作ったというのだから、驚いた。
チャーリーだっていい大人なのだから、料理のひとつやふたつやみっつ出来てもおかしなことはないのだが、ドンにとってはいくつになっても数学に夢中になるあまり、世間一般のことには疎いとばかり思っていたので、驚きだった。
考えてみたらチャーリーには、職もあればガールフレンドだっているのだ。簡単な料理くらい出来たっておかしくはないはずだった。
「そうか……」
自分が出来ないからといって、人も出来ないと思ってはいけないということは百も承知のはずだったが、相手が弟となれば話は別だった。自分に出来ないことは、弟にも出来ないと思い込んでいたことに気付かされたドンの答えは、歯切れの悪いものだった。しかしそれも、チャーリーが次の言葉を口にするまでのことだった。「サラダはエビとアボガドなんだけど」
「え？」
エビとアボガドのサラダは、亡き母の得意料理で、ドンの大好物だった。正直チャーリーはアボガドのあのもったりした感じが好きではなかったが、ドンが好きなのでこの世に存在することを許していた。
「ドン、好きでしょう？」
実のところスープもミネストローネにしてあった。ミネストローネはドンの好きなスープなので、もしもドンが手ぶらだったら、ここのパスタや米を入れてもいいし、肉だって焼くばかりに下ごしらえしてあった。
「スープはミネストローネなんだけど」
「ミネストローネか……」
「トマトの酸味は疲れにいいしね」
「……そ、それじゃあもらおうかな」
久しぶりの好物に、平静を装ってはいるものの、ドンがかなりうきうきしているのが分かった。
「そうそう。不摂生して、風邪なんか引かないようにしないと、敏腕エージェントさん」