「……あの人生きていたわけ？」
「あの人？ああ、君のお父さん？……そんないやな顔しなくても」
向かいの席に座る人の、嫌そうな顔にくすくす笑った。
「生きてる。パリで会った」
「そっか……生きてたか……」
「元気そうだったよ」
「そっか……」
「飲む？」
「いや、いい……飲むと余計に酔うから」
「飛行機に？酒に？」
「どっちも」
窓の外を見ても大丈夫なんだろうか？
空一面、雲の白ばかりなら大丈夫なんだろうか？
でも手は震えていた。
だから握りしめた。「なあエリック」
「ああ？」
「貸しって何？」
「貸し？」
「４つあるって言っていただろう？水道代と、朝食の約束と、起こす約束と……もうひとつは何？」
「ああ、あれ」
エリックが笑った、のを見るとこっちも笑えてしまった。昔からそうだった。いともたやすく、こっちの笑顔を引っ張り出すエリック。
「なんだと思う？」
「分からないから聞いている」
「そりゃそうか。あのな……」
エリックはそこで声を潜めた。手招きするので、身を乗り出した。
このエンジン音じゃあ、パイロットには聞こえないと思うのだが。「ちゃんと言わないでいなくなったこと」
「……そりゃ、言えるわけがない。あんたは警察官だったし、俺は……」
ちゅ、っと頬にキスされた。ついでに齧られた。
「もう１度言って。さっき飛行機に乗る前に言った言葉」
「もう１度？何度でも言うけど……『愛してる』エリック」
「買い食い好きのラスティ、いつわたしにそう言うかと思っていたのに、とうとう１度も言わないままいなくなった。……これが貸しの４つ目」
「エリック……」
「うん？」
「お見通しだったわけ？」
「プロだぞ、これでも」
「完敗だ……」
「それはどうも。わたしも飲み物をもらおうかな？」
「ＯＫ、何にする？」
「ノンアルコールの……でも強い……」
「なんだそりゃ」
立ち上がって、ドリンクバーに行こうとしたら指でちょいちょいと呼び止められた。「ラスティ」
「うん？」
「もうどこにも逃げるなよ」
「ハイ……」
パイロットは多分、キャビンのことなんて構わないだろう。
見てたって構うもんか、いや構う。
この人を見られてたまるもんかもったいない！
きちんとしたキスを。
頬や鼻や、唇にする友達のキスではなくて。本式の。
恋人同士のキスを。